おっけーおーらい 旅に出かけよーぜ。(JAPAN SURFTRIP JUNE 2007)

鴨川、千葉

日本到着日は成田空港から義理母に招待され千葉鴨川のグランドホテルに2泊。そこで一足先に太東のプロサーファー細川家に居候していた息子のカズマと合流した。奴は旅館の大御馳走と日本一上手い大阪森田屋さんから差し入れされたとろけるような牛肉を前にしながら腹の調子が悪いとダウン、話を聞くと今日は寒い千葉の海に6時間も入っていたそうだ。それを日本語では自業自得というのだ。毛布に包まる息子をほとんど無視して我々は久しぶりの大ご馳走に舌鼓を打つ。今思えばこの日がこの旅一番の大御馳走であったが、目の前の食事につられ差し入れされた刺身料理や大阪森田屋のトロのような牛肉の写真を撮り忘れたのが悔やまれる。一人ダウンとはいえ久しぶりの家族や仲間が集合し盛り上がった。カズマと肉を届けてくれた千葉に住むユージは中学生の時にマウイの我が家にサーフ合宿に来て以来の付き合い、オアフ島、オーストラリアとサーフィン修行に出て今では千葉でプロサーファー目指し頑張っている。20歳になった彼の成長した姿を見れて嬉しかったが私は時差ぼけのため気がついたらダウンしていた。

翌日は4時前に起きてしまい早く太陽が出ないかなぁ、と布団の中で一人我慢、そして4時半ごろ起床し、ほのかに明るい海を一人で散歩した。いままでサーファーは朝が早いと思っていたがそれより釣り師達はもっともっと早い事を発見、おみそれしました。つーか4時から明るい日本の夏、やっぱ夏時間を作った方がいいかも。
その日は寝込んだ息子以外全員鴨川水族館に行くというので私は一人沿線の旅という奴をすることにした。鴨川でローカル電車に乗って何となく気になっていた千倉という駅に降りブラブラ歩いてきた。田舎の電車は思っていたとうりほとんど人は乗ってなく窓を全開にして流れる畑や小さな港町の風景を楽しんだ。思えば私が小さい頃は電車にクーラーなど入っておらずいつもこんなふうに車内には爽やかな風が吹き込んでいたものだ。

初日に泊まったグランドホテルのタワー15階。ここはキッチン付きの2BR2BATHのコンド、鴨川の町が一望できる。 2日目から鴨川グランドホテルに移動。寝床の真下がサーフポイント
積極的な白人を見慣れている目にはひっそりと生きる老人がいとおしい。 老人カップルが仲良く買い物をしていた千倉の「ファミリーファッションすぎやま」

鴨川駅からグランド鴨川ホテルまでほとんど海沿いの道を歩いて行けるのだがその途中に川がある。その川を横切るときに見下ろすと可愛い鴨の親子を発見「そっか、だから鴨川って言うのか」と一人納得してホテルに戻ると「そんな訳ないじゃない」と可奈ママに馬鹿にされる。つくしょー。ホテルに戻り温泉に行こうとするとやや復活した息子も行くという。ちょっと前までは恥ずかしがって一緒に大浴場など絶対に入らなかったのに、かなり日本にも馴染んできたということなのか。その後部屋でくつろいでいると細川テツオ氏が合流、何でも明日の仕事はこのホテル前の海でやるらしい。話を聞くとカメラマンもライターも我々の知ってる人、しかもライターのトミーは明日帰るはずの私の実家の隣町、どうやって帰ろうか悩んでいた我々には渡りに船、連絡すると同乗を快く承諾してくれた。その晩も刺身やアワビの踊り焼き、その他諸々わっはっはの大ご馳走、火の上でアチチチチーと身を捩じらせるアワビをキャハハハと笑いながら子悪魔ミカコがビデオに収める。私はテツと日本のビールをグビグビ飲んでいるうちに知らぬ間にこの日もダウン。

鴨がいるから鴨川、ではないらしい。 美しい鴨川の朝焼けと釣り師

次の日も朝3時に目覚めじっと布団の中で4時になるのを待つ。外が明るくなってきたので散歩に出ると東の山の上が真っ赤に染まって見事な朝焼けなので部屋に戻りカメラを持ち出した。その日の朝食はホテルの群青というレストランでバッフェ、今まで自分が一番気に入っていたオアフ島のシェラトンホテルのバッフェくらい美味しく、洋食、和食どちらも食べてしまった。朝食後テツ君の仕事サーフィンを邪魔しないようにやや離れた場所で可奈が波乗り、私も少しだけ海に浸かりさっぱりした。
サーフィン後はこの頃になっても腹痛、下痢が収まらぬ息子がさすがに心配になったのでホテルで自転車を借り駅前のマツモトキヨシでオススメ下痢止めを買いに行った。これが功をなしたのかようやく息子も立ち上がれるほどになってきた。グランドホテルをチェックアウトしようとするとホテルのオーナーがわざわざ我々を待っていてくれ歓談。実はこのホテル今は亡くなってしまった可奈のおばあちゃまの実家なのだ。

可奈、日本での初サーフィン テツ君は雑誌のお仕事
珍しく仲の良い娘と父(笑) サーフボードと人間でてんこ盛りのトミー号で横浜へ

ホテルをチェックアウトし可奈ママやテツ君と別れライターのトミー号で千葉から横浜に向かうフェリーに乗船、チャリンとお金を落としグビグビッとビールを飲んでいると偶然にも千葉名物のビワを提げたマウイ在住の古谷君と出会う。彼もマウイから実家の湘南に戻り今日は波がないので千葉まで遊びに来たらしい。しかしこんなフェリーの中でマウイ島人に会うなんて嬉しくなる。私は家族から抜け出し複数の美女を連れたクラブ古谷で飲んでいるうちに船はあっという間に横須賀港に到着。皆と別れ一路横浜の実家に向かう。高速道路が充実して20分ほどで着いてしまった。

横浜

横浜の実家に着いた。家族4人で日本に戻るなんてめったにないことだから、成長した息子や娘の姿を年老いた母親に見せようと横浜の実家に戻ってきたが子供達には退屈な場所のようだ。私が子供の頃いつも遊んでいた海は残念ながらとっくの昔に埋め立てられてしまったのだ。海遊びは出来ないので娘は姉のコンピューターを借りマイスペースなどで友達とチャット、私と息子は貸しビデオやからスラムダンクのDVDを数本借り馬鹿笑いをしながら過ごした。妻は久しぶりに見事な嫁芝居をし、翌日は家の裏手にある山を登り父親や祖父祖母の眠る墓にお参りにいった。慣れない子供たちも神妙に線香に火をつけ両手を合わせ拝んでいた。なんだか妙な光景だ。家に戻り部屋の脇をふと見ると私と可奈宛にサンマルクというファミレスからアニバーサリーディナーの割引券が届いていた。そうか7月4日は我々の結婚記念日ではないか、しかしサンマルクめ、どうやって調べやがったんだと疑心暗鬼になりながらも割引券に目がくらみ姉の運転するプリウスにむりやり6人乗って夕食に行った。料理は普通だがひっきりなしに持ってくる焼きたてパンがどれも上手く子供たちも大喜び、ふと気付くとテーブル上に店のアンケート用紙が置いてあり、そこに結婚記念日も記載するようになっていた。そうかそうかそういうことだったのか、数年前に来た時に自分でこれを書いたに違いない。サンマルクさん、うたがってごめんね。
その夜もスラムダンクの桜木花道とともにくれ、次の日は5時おきで姉の運転で羽田に向かった。いざ、宮崎!

実家の上にある梧心寺、斉田家の墓は更にこの上にある。 子供たちと墓参り
富士山 江ノ島と湘南
飛行機は羽田から宮崎に太平洋沿岸を沿って飛んだ。国内線などめったに乗らないものだから日本地図どおりの海岸線が良く見えとても感激した。きっと素晴らしい場所が沢山あるんだろうな


宮崎

元マウイ在住のユニークご夫妻ミッチ&チャーが宮崎に引っ越しかなり前から誘われていたのがやっとこの機会に実現した。波が良いし2年しか住まないよと色々な誘い文句につられてやってきた宮崎は空港を降りたとたん、地理どうり沖縄と本土のアイノコのような感じだった。しかしあれだけ人を誘っておきながら宮崎ミッチは朝の4時まで飲んでいたと寝坊してきやがった。そんなミッチを子供たちが軽く苛め閑静な住宅地の中にある彼らの家に到着。真新しい室内は吹き抜けで洒落ているが冷蔵庫には殆ど何も入っていない、、、やっぱり相変わらずのバカ嫁ぶりらしい。一休みして昼食に栄養件というラーメン屋に連れて行ってくれたが、ダブル麺にダブルチャーシューという大盛りをぺロッと完食、いやぁここのラーメンは本当に上手かった。その後波チェックに行くが近場のポイントは残念ながらイマイチで1時間運転してXXX(忘れた)という綺麗な湾のポイントで入水。水は温かく入っているロングボーダーもメローでいい感じ。夜は1500円でゲームし放題の場所に行き子供たちは大興奮、大人ぶってる息子もゲーセン内では興奮して走りまわっていた。やっぱまだまだガキやねん。宮崎では地鶏や寿司を食い小ぶりな波ながらサーフィンも出来、満足、最終日は花火まで仕入れてくれてありがとね。

空港ではやっぱこの人がお出迎え。 友人宅、私のプレゼントした手作り表札がかかってました。
昭和風居酒屋の前でバカな親子 ああ、少年時代の私を悩殺した由美かおるだぁ。
宮崎ガールがんばってました。 マウイボーイ、波がよくないと不貞寝
「殿、波がないでござる」宮崎の綾城にて 宮崎最終日はビーチで花火をしてくれた。

宮崎では波が小さかったため緑と滝が見事な綾という場所でハイクをしたり(あ、わたし両足とも山ヒルというのに食われ大出血でした)、子供達は陶芸をやったり美味いもんを沢山食べたり別な面で楽しめました。次回は日南方面まで足を伸ばしてみたいなぁ。



種子島
いやぁ、やばい島に行ってしまった。
過疎化が進んだその島の南部は道行く車も少なく歩行者と運転してる人が目を合わせて挨拶するような関係。道路を横断する子供たちのために車を止めると彼らは手を上げて渡り、くるっと振り返り「ありがとうございました」とお辞儀をする島。麦藁帽子にランニング(タンクトップ)の少年達が網を片手に楽しそうに自転車をすっ飛ばしてる島。
ある朝、波止場を散歩していると、地元の老人に「どっから来た?」と聞かれ「ハワイです」というと、彼は予想外の答えに反応できなく頭をポリポリかきながらあとずさってしまった。そして数分後に頭を整理して戻ってきた老人は「それってワイキキとかあるとこかえ?いやぁ、まいったなぁ、オレはこの島にもう60年も住んでるさ、飽きた飽きた」と笑いながら言い放った。さすがに私も「ワイキキではなくマウイです」とは突っ込めなかった。
サーファーで絵描きの友人は古い家をおしゃれに改築し庭に畑を作り、早朝から1時間のヨガと上手いコーヒーで目覚め、波がよければゆっくりと8時過ぎから海に出る、という贅沢な暮らしをしていた。携帯サイトなどないので波情報は途中で出会うサーファー同士が道路の真ん中にそのまま車を止め情報交換する。こんな田舎なのにビーチには皆が使えるお手洗いや水があり、そんなとこにもサーファーフレンドリーな島なんだなぁと感心してしまう。過疎化が進んだ田舎の島では若い力は財産なのでサーファー達もしっかり受け入れられ良い関係を作ってるようだ。海に入れば殆どが顔なじみのような感じで誰も車に鍵など掛けない。まるで15年前のマウイのようだ。
フェリーで種子島に到着 さっそく波チェック
絵描きのヤスクンの住居兼アトリエ ビーチグラスと貝を沢山拾いました。
種子島セッション、ヤスクン ようやく復活したカズマ
チャーちゃん、運転お疲れ様 美しきシュノーケルスポット、千倉の岩屋
火山の島の住民には優しい緑が訴える お洒落で美味いハンバーガー屋Stepping Lion

農業を主産業にしたこの島には昔から住んでいる島民と波を求めて移住してきたサーファー達が上手く共存しているようで、ほっかむりをしたおばちゃんが「あんたもサーファーかい?」とニコニコして聞いてくる。なんだか山口百恵ちゃんの「いい日旅立ち」が良く似合う正しい日本の田舎の島を見つけてしまったようで私的にはかなり訴えたが娘に言わせるとこの島は買い物も出来ないし虫が多いし道路で蛇は日向ぼっこしてるし、蒸し暑いし最悪だったそうだ。(苦笑)。

美しき種子島、I shall return.