| ホロホロエッセイ2001年 |
| 01年12月04日 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 良いのか悪いのか時間だけがたくさん出来てしまったので12月は久しぶりに家族でオアフ島に小旅行に行ってきた。 私個人では仕事がらみでちょくちょく行っているのだが、家族を連れて行くのは久しぶりだ。今回も宿は友人ランドのヨットで持つべきものは友達、彼は我々にこのヨットとバイクを1台あてがってくれた。ベッドルームは前と後ろに2つあり、真中にリビングとキッチンがある。今回はスターターが修理中でセーリングは出来なかったが、オアフ島にはやりたいことが山ほどあるので問題ない。 初日の夜はラーメンラーメンと騒ぐ私の要望を聞き入れてくれて、地元の友人に最近の旬のラーメン屋を聞き、3ドルも駐車場料金を払い上手いとんこつ博多ラーメンを食べた。その夜はめに寝たが、息子はデッキで寝たので結構寒く、何回も夜中に起きたらしい。ベッドルームがあるのに馬鹿な奴め。 次の朝は別の友人がスターバックスのコーヒーを差し入れてくれた。目も覚めてきたので皆で波乗りに行こうとWAIKIKIに繰り出す。朝食は前回気に入ったキングスビレッジのダンキンドーナッツ。ここはハワイ住民だと2割引にしてくれドーナツセットも上手いので私のお気に入り。車を近くの駐車場(6ドル!)につっこみ、DUKEの銅像の前でサーフボードを貸している業者と値段交渉、そこそこの値段でサーフボードを4枚借りた。波は腰から肩くらいのまったりした波でLONG BOARDにはなかなか楽しかった。KAZUMAはMAUIのプライドか、いつもよりカッコをつけながら結構いい波を捕まえて観光客の間を縫うようにロングライドを何本か決めていた。KANAはいつものようにMIKAKOを前に乗せてタンデム、私はWAIKIKIローカルに混ざり波を何本か捕まえるが、どうもマウイのようにみんな優しくない。何もいい年をしたおじいちゃんがそんなにしかめっ面して波争いしなくてもいいのに、と思うのだが、やはり観光客の多いWAIKIKI、みんなストレスをためているようだ。レンタルボードのよそ者にはいい波を譲りたくないらしい。 1時間半くらい遊んで板を返すとレンタルボード業者で働いているやや怪しげな日本人青年が「かっこいいですね、どこからきたんですか?」と話かけてくる。確かに家族みんなで波乗りっていうのは観光客の多いWAIKIKIでは珍しいのだろう。 その後私はヨットに戻り、子供とカナは動物園に行った。彼らを迎えにZOOにいくと、まだ出てこないので近所のサーフショップに顔を出す。友人が働いていてTシャツを2枚も頂いてしまった。 お昼はKANAちゃん念願のジンボでうどんやそばを食べ、女、子供は買い物。私はかねてから興味のあったカイトサーフィンをやりにカイルアビーチに向かう。あいにくの曇天だが風は吹いている。昔よく私がウインドサーフィンをしていたビーチが今はカイト一色になっているのに驚いた。 ![]() ![]() 別に何もしなくても昔の友人と一緒にいるだけで楽しいのだが、やっぱり遊びを見つけて皆で燃える方がもっと楽しい。それも新しいスポーツだと結構ブザマでとても笑える。残念な事に私の友人たちは結構カイトができるようになっていて、木に引っかかったり、糸にこんがらがる姿は見れなかったが、それでもジャイブ(方向転換)のたびに身体ごと空中に引っ張られる姿は釣られた魚のようで大笑いした。もう1つカイトで可笑しいのが見た目の派手さとは裏腹の地味な作業だ。いい男が二人で糸のカラミを治したり、色々とこちょこちょやっている姿はオカマのスポーツのようで結構笑え、さんざんからかってやった。 さて私のブザマな姿だが幸いな事に証明写真は何もない。このカイトを操作して、板をつけずに海の中を引っ張られるボディドラッグというのをやったのだが、私の優しい友人たちはライフジャケットもウエットスーツも無しに、いきなり本物のカイトを私のハダカンボの身体に縛り付けた(普通は小さなカイトで練習するのだ)。ゲイラカイトは結構凝っていたので操作は何となくわかるが、そのつもりでカイトを海のほうに向けるといきなり身体が引っ張られ、バシャバシャバシャと海に連れて行かれ、いきなり足が立たなくなった。ハダカンボの身体は浮力がないので口の辺まで水に浸かりながら、どんどん沖に持っていかれる。これはひょっとしたらヤバイかなと思い、ゆっくりとカイトの向きを変え、ビーチサイドに戻った。 ビーチが近くなりカイトを下ろすと友人が捕まえてくれた。彼らの話では私はカイトを落とさなかっただけうまかったらしいが、きっとこの日一番の笑いの種だったろう。友人たちは終わった後で、そう言えば最初はみんなライフジャケットつけて練習したな、などと軽くのたまってくれた。 さてその夜は15年来の友人も集まりパロロの山の上のコテージでBBQ、この辺一帯はホノルルにありながらハナのようなジャングルが多く、自然を愛する隠れお金持ちがたくさん住んでいる。この大家さんもアロハシャツで有名なカハラのオーナーで何エーカーもフルーツの生い茂る広大な土地をもっている。 昔話に花が咲き10時過ぎにヨットに戻るとノースショアにいる友人カメラマンがヨットの前で待っていた。彼はナイノアトンプソンとホクレア号に乗り組み、その写真を今日撮っていたらしい。どうやら彼の狙いは今夜の宿らしい。 さて最終日はKANAちゃん念願の買い物に付き合い、マルカイやダイエーや1ドルショップなどに行き、私はボートパーツ屋だけ寄った。行きも帰りもスタンバイに簡単に乗れてしまい、マウイには思ったより早く到着した。お茶などを炒れてミタラシダンゴをデザートに、庶民の幸せをかみ締めていたが、やっぱり斉田家、落ちがある。 今朝、気付くとテーブルの上に置いてあったオアフ島のパン屋で買った大事な朝食のカレーパンやアンパンが全部無いのだ。犯人はジンボ(これは犬ね)で奴がぺろりと全部食ってしまった。いつもはそんな事を絶対にしないのに、犬にも上手いパンがわかるのだろうか?それとも置いていかれたハライセか〜? |
| 01年12月10日 |
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![]() ![]() 日曜日に娘の8回目の誕生日を我が家で質素に行った。当日はスカッと晴れた空に絵に書いたような気持ちのよい雲が広がり近所の子供たちが小さなプレゼントを持って我が家にやってきた。家中を小さなレディ達に占領された私と犬は居場所もなくなり寝室に隠れてオアフ島で仕入れた本などをひっそり読んでいたのだが、まあ、男に比べてその日1日は平和なものでした。一番右の写真はミカコをはさんでの双子ちゃんだがモデルをやっているだけあってカメラを向けるとマウイの太陽のようなとっておきの笑顔をくれた。 ろうそくを吹き消しバースデーケーキを切りプレゼントを開け、暫しの興奮の後、頂いたプレゼントで早速皆で遊びだした。今年はファッションポーリーという着せ替え人形が流行っているらしく、違うバージョンを幾つかもらって喜んでいた。太陽が海に落ちる頃Goody Bagというお土産袋をゲストの子供たちに持たせお開きになった。 1日主役でいられたミカコはとっても嬉しかったらしく我が家の夕食のビビンバ(娘の誕生日の夕飯かい)を珍しくわしわし食べながらゴキゲンだった。我々からは写真のボタンを押すとローラースケートに変身する、なんだか007の小道具のような運動靴をプレゼントした。彼女は次の日それを履いてルンルンしながら学校に行ったが妙に靴が大きく見え、ルパン3世のようでもあった。 その月曜日、12月10日が彼女の本当の誕生日なので「今日は外食にするぞ、海香子どこでも好きなレストランに連れて行ってやる。」というと、彼女は「やったー」とシャウトし「デニーズ!!」といいはなった。私と妻と息子は3人で顔を見合わせ、一生懸命彼女の考えを変えようと努力したが「夕飯に美味しいパンケーキが食べたい!」と熱のこもったへんてこな理由に押し切られ、OHANA滞在中の女性二人も交え、車で3分のデニーズに向かった。 お腹が一杯になったあと、誕生日のスペシャルトリートでスプリンクルの一杯かかったアイスクリームをお店の人にもらい店を出たが、その日は特別なのでいつもは禁止しているトラックの荷台に乗ることに許可を与えた。 家までの帰り道、降るような星空の中、短い道のりを家々のクリスマスデコレーションを鑑賞しながらゆっくりとドライブすると今更ながら1年の短さに驚かされる。荷台では子供たちより盛り上がっているOHANA滞在の湘南BBガールズの陽気な声が聞こえる。そうして、いい夜がまた一つ過ぎていった。 |
| 01年12月19日 |
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| 1年も終わりに近づきマウイのショッピングセンターはどこも超満員。子供たちも学校から成績表をもらいハワイには必要のない冬休みに突入した。 写真は長い雨が終わりよく晴れた朝に近所の小さな波の立つポイントでクリスマスカード用の撮影をした日の一こまです。家族でサンタ帽をかぶりなながら何本か波に乗る姿は道路からもかなり目立ったらしく、通りかかりの友人などもあつまってきた。私が海から上がると目を丸くしたハダカンボの赤ちゃんが「SANTA…」といって目の前に立ちふさがった。「私はSAITAです」というしゃれも通じないだろうし、無垢の目の前で返答に困ってしまったが、マウイの赤ちゃんにはサーフボードを持ったサンタクロースに真実味があるのだろうか。 まったくホロホロネタには困らない斉田家だが、今回も肉まんKAZUMAがやらかしてくれました。学校が終わる2日前私が船に乗っていると妻からの電話。どうやら息子のKAZUMAが学校で喧嘩して校長先生に呼び出された、とのこと。普段は温和な奴が何をそんなに怒ったのだろう、怪我の具合はどうなのだろう、などといろいろ考えたが、彼も中学生、自分のプライドをかけて勝負をしなければならない事はあるだろう。男なのでいつかはこんな日が来るだろうと覚悟はしていたが青い海の真中で聞くそれはあまりに突然で、なんだか少し慌ててしまった。 ダイビングの仕事が終わり家に帰ると、学校から2日間の停学を食らった一真がそこにいた。彼は私に会う事に妙に緊張していて、顔を合わせるといきなり不自然に事の成り行きを話し始めた。原因を聞くとつまらないことであったが、彼のプライドを傷つけるには充分な事であった。手を出したのも向こうが先らしいし、しょうがないな、というのが私の気持ちだったが、喧嘩を奨励するわけにもいかないので自宅謹慎の罰を与えた。 彼は思ったほど私にしかられなかった事にホッとしたらしく喜んで罰を受けていた。こっちの学校の喧嘩で日本と違うのは原因に人種の問題が絡まってくる事だ。白人の多いキヘイの学校では日本人はどうしても少数民族になってしまうのでつまらない事でからかわれたりもするらしい。 母親は校長先生にお説教をされてしょげかえった息子を、波乗りに誘いさっぱりしてきたらしい。かのジェリーロペスさんも言っているが、海には癒しの力がある。私も人間関係の嫌な事や歪んだ気持ちを、何回母なる海に洗い流してもらった事だろう。我が家にとっての海とは遊びと仕事の場所であると同時に大切なGAS抜きの場所、心身浄化の場所となっている。というわけで、海から離れた生活は今のところ考えられない。 |
| 01年12月25日 |
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![]() ![]() 例年のように仲間を集めて我が家でクリスマスパーティーを開いた。各自持ち寄りのおいしい食事と楽しい団欒とお酒で場がなじんできた頃、誰が言い出したか「1ドルじゃんけんをやろう!」と言う事になった。一人1ドル出して勝者がもらえるという単純なルールであるが、かなり盛り上がりなんと決勝は我が家の娘と息子の対決になった。何事にもお兄ちゃんに勝ったことのない妹はかなり弱気であったが、1発で賞金の20ドルをものにしてしまった。やった-と叫びながら賞金を掻っ攫うと自分の部屋に引きこもってしまったので、こっそり覗くと1ドル札20枚を一生懸命ベッドの上に並べているではないか。実は私も仕事で儲かった時に喜んで全ての札束をカーペットの上に並べた事がある。いやはや血は争えないもんですなぁ。テンションの上がった大人たちは「腕相撲をやろうぜ〜」ということになったが、それが上の写真です。10キロのタンク2本を楽々担ぐ女性インストラクターやパドリング命の女サーファーが集まっているだけあって、かなり迫力のある女同士の真剣勝負が見られた。日本のロマンティックな夜を過ごしているかよわき女性たちとは180度違うマウイアマゾネス軍団のクリスマスの夜なのだ。見よ、この筋肉! 私は寿司マンを破りながらもイケイケヨシGに負けたので、悔しくて再度挑戦。結局勝負はつかなかったが腕はプルプル、ヨダレジュルジュル状態になっちまった。 ケーキを食べいよいよプレゼント交換の時間になった。テロ以来貧乏生活の続く我々はプレゼントを10ドル未満に定めた。音楽に合わせてそれを回しあうのだが誰に当たるかわからないのはプレゼントを買う側も気楽でよい。私はセクシーなハワイ男のヌードカレンダーを選んだが見事に独身女性の手に渡った。遠慮のない女性陣はいきなり「何月の男がいい〜?」などと盛り上がっていたが、かってなものである。私はモミモミマッサージ器具3点セットのようなものがあたり、結構静かに喜んでいた。夜もふけ仲間内のパーティーはボチボチと解散になった22日の話でした。 そして25日のクリスマスはいよいよツリーの下にあるプレゼントを開ける日です。子供たちは当然のように早起きし自分のニュートイに狂喜乱舞します。我が家は一真が新しいスケートボード、ミカコがEカラというカラオケマシンをサンタからもらいました。外に飛び出して遊ぶ息子とブリットニースピアなどを1日中歌っている娘は共に幸せそうでした。そして私とカナへのサンタからのプレゼントはなんと網戸だぜ、サイタサンタ、渋すぎ! そしてゼロの宴は更に続くのだ。その夜にはゼロのお客様を集めてのクリスマスBBQを近所の公園で開催した。相変わらずサーファー、ダイバー、ファミリーが集まり支離滅裂だがその方がお互いに刺激になっていいと思っている。昔からのリピーターもいればこのHPで友達になった人もいる。さらに友人の紹介という人もいて初めての人同士が一同に集結した。クリスマスBBQは始めこそぎこちなかったが、心地よい海風とマウイのアトモスフェアが皆を開放的にしてくれる。いい加減なホストの私はいつものように酒を飲み肉を焼くだけだが、みんな自立しているので勝手に和んでくれる。 手作りのケーキを食べ集合写真の時間になったとき、テーブルの上に10台くらいのカメラが並んだ。いやいやみんないい笑顔しています。来年も楽しくやりましょうぜ。 We will see you in Maui! |
| 01年12月29日 |
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自分の誕生日をWEBに載せるのもこっぱずかしいものですが、色々な方からおめでとうメールが届いたので報告します。今日はマウイ在住の人と日本から遊びに来てる人がお祝いに駆けつけてくれ、なんとその数28人。よくもまあそんなに我が家に入ったものだと思います。 あっという間に45歳になってしまったが自分の考え、性格は中学、高校時代に形成されたまま、さして変わっていない気がする。ここまで来る途中に多くの仲間を得、少しの仲間を失ってきたが、こうやって皆さんに集まっていただけると、そんなに間違って生きていない気がするので嬉しい。 圧倒的に若い人たちに囲まれた誕生日は沢山の蝋燭を子供たちと一緒に消し、いろいろな心のこもったプレゼントを頂いた。皆さん本当にありがとうございました。 ミーハーの私は45歳の記念にLEEとかNONNOのモデル、大野ミキちゃんと2ショットを撮って貰ったが、毎度の事ながら上手くいかないもので後ろにはいたずら坊主の一真と湘南のプロサーファー細川哲夫が邪魔をしているではないか。しかし美貌の横に並ぶ私のしわだらけの顔は正視に絶えられないので半分に切っちまいやした。翌30日には、この3ヶ月で3回もマウイにトレーニング(?)に来ている湯本優選手が日本から50万円もする超軽い自転車をプレゼントに掲げてかっこよく登場した。「おおー」と喜んで組み立ててみたが、なんとペダルとサドルが入ってない。まったく彼らしいオチで笑ってしまった。 もう一つ特筆したいのは日本から不二家のショートケーキを持ってきてくれた友人がいた。ヤスにタクありがとねー。長い間夫婦揃って夢見ていた懐かしい味に感動してしまった。 そんな風に皆に年寄り扱いされながらも、愉快で楽しい連中が集まってくれた。ちょっと恥ずかしいが誕生日はいくつになっても嬉しいものだ。日本からグリーティングを送ってくれた人達も含め、皆さんありがとうございました。 |
| 01年12月31日 |
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![]() 31日は、ダイビングの仕事をし、昼からサーフィン、夜は花火をやって過ごした。始めは家の前で比較的可愛い花火をしていたが、そのうちに大人たちが盛り上がり、激しく遊びだした。爆竹の制限ができたので近所の花火は例年に比べいくらか静かな気がしたが、うるさきゃ盛り上がると言うノリは相変わらずで、家の前の過激な白人一家はできるだけ大きな音のする花火を一家総出で打ち上げまくり「ビンラディ〜ン」などと空に叫んでいた。我が家の犬は怯えまくり落ち着きなく家の中でウロウロし、ワルガキどもはどっかから持ってきた可愛いバービィーちゃんを火達磨にしてしまい私の魚を捕まえるバケツを溶かしてしまった。(やつらはその中に花火を突っ込んでいたのだ) ![]() 散々遊んだ後に道路に散らかった花火を掃除しワイレアに打ち上げ花火を見物に行った。例年の事ながらどこで打ち上げるのか情報がはっきりせず、去年は少しはずしたので、今年はウルアビーチに陣取った。ビーチに着いたのが夜中の12時15分ほど前、海には形のいい波が満月の下で輝いていた。家から持ってきたシャンパンを開け、一番最初にプロサーファーの哲夫が海に飲ました。なるほどな、海で商売をしている人はやっぱり海に感謝しなくてはな、とそれに続き私も膝まで水に浸かりながらシャンパンを海に注いだ。その後みんなで回し飲みしながら花火を待つが5分前になっても一向にその気配がない。家から持参した小さな花火で遊びながら我等でカウントダウンし新年を迎えた。ちょっと寂しいではないか、と思っていた時にドッカーンとグランドワイレア方面から花火が上がった。結構迫力のある立派な花火は約10分ほど上がっていただろうか、皆で雄たけびを上げながら新しい年を元気に迎えられて気持ちがすっきりした。 今年は個人的にも社会的にも色々な事があった1年だったが、家族全員健康に過ごせた事といろんな面で沢山のサポートをしてくれた友人たちに感謝したい。テロの事件から自由の尊さを新たに感じ始めている、そしてそれは与えられるものではなく、時には闘わなくては手に入らないことも多くの人が認識し始めた。 TRIBUTE TO HEROESというテロの寄付基金DVDを年末に買った。その中でアメリカで自粛命令の下ったジョンレノンのIMAGINEをニールヤングが意識的に歌っている。RULE IS MADE TO BE BROKEN、やってくれるものだ。民衆の強い国はまだまだ捨てたものじゃないとほくそえんだ年の瀬でした。 |
| 01年11月05日 |
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![]() 海ではよく会うが、お互いの家にはお邪魔した事がない、と言う友達がよくいる。今回はたまには一緒に飯でも食おうか、とタカとアヤの家に招待された。タカは大工を本職とするサーファーでアウトリガーカヌー、トローリングまでやってしまうかなりローカル色強い日本人で、関西人の例に漏れなく話が面白い。AYAは知る人ぞ知るあるサーフショップの看板娘で波乗りも上手いが頭もいいし、可愛い(書いとこ!)。よく妻のカナと間違えられるのだが、遠目には確かに似ている。ただしアヤの方が若干めんたまが大きく、眼球も飛び出している。実際サングラスに目がぶつかって困るそうだ。 お呼ばれされたタカと彩ちゃんの家にはアキヤンと夢ちゃんも遊びにきていた。彼らとはサーフィン中に出会ったのだが、キヘイからハイクに引っ越してからは久しぶりに会う。アキヤンと夢ちゃんはこれから2年間のサーフトリップを敢行する、とっても羨ましいカップルでこのあとフィジーや南アメリカ、トンガなどいろいろな場所に行くらしい。彼らの2年間はとても興味があるのでリンクに貼らせて貰う。アドレスはhttp://www.go-style.com/index_wt.htmlだ。またアキヤンは個展も開いているポップな絵描きさんで、この日も彼の作品が何点かアヤタカ邸に飾ってあった。とても元気で可愛い作品なので私もすっかり気に入ってしまった。 アキヤンは自分の感性でポップな作品を作り続け、タカは自分の筋肉で何十年もマウイの地に聳え立つ家を作りつづけている。方法は違っても作品を作りあげるっていうのはやはり私の中で羨ましい仕事の1つで「なーんか楽しそうだな。」と思ってしまう。 で、単純でヒマな私は次の日アクリル絵の具を買って家にあった木切れにシコシコ絵を描き始めましたね。これが上の作品です。 どうだい、どうだい夕焼け男と空とぶヒロキチ亀だぜ。まったく自分の技量のなさに泣きたくなるが、えーい、怪しい感性で勝負だ。技量は私が飽きなければそのうちについてくる(はずだ)。 というわけで皆さんも秋の夜長に馬鹿になってなんか新しい事はじめませんか。面白いよー。 |
| 01年11月11日 |
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![]() ![]() 暇にかまけて息子を近所のカマオレ3というビーチパークに初めてのダイビングに連れて行った。彼が4歳の頃オクトパス(補助空気源)をくわえさせて水底につれていったことはあるが、あの時はマウスピースが口に合わなくて奴も苦労していた。現在11歳の息子は体重50キロ、足は26センチとでかいので器材はみんなぴったりだった。 さてダイビングだが潜る前に【息を止めるな】と【急に浮上するな】の二つだけ教えた。素潜りはいつもやっているので耳抜きはわかっている。水中ではずっと自分の後をついてくる、ということも解っていたのであえて言わなかった。重りは6パウンド(約2.7キロ)をつけたが、かなり脂肪があるので少し予備の重りも持った。 多くの観光客とライフガードが見守る中(他に潜っている人はいないので目立つんですね)、何の抵抗もなく水中に消えていった我々だが、やはり若干重りが軽いようで少し浮き気味だ。約1キロの重りを奴のポケットに追加し45分の快適ダイビングをしたが、ダイビングって言うのは海に慣れている人間にはこんなにもたやすいものなのか、と今更ながらビックリした。だからこんなにポピュラーになったのだろうが、私は奴に何も教えてないのにいきなり一回転とかされちゃうと困るのだ。今までの我々の時間をかけた説明と練習は何だったんだという気がしてくる。 このままではまた奴が「あんなのできない人いるの?」などと憎まれ口をたたくのが解っていたので、若干ストレスを与えようと水深を確かめてから水中でレギュレーターをはずさせた(水のクリアの仕方は教えてない)。したっけ、あの野郎平気でベロ出しやがった(し、失礼、口調がいきなり下品になってしまいました)。それが上の写真だが、大きくすると鼻が豚ッパナになっていて実は面白い。 しかし水中にいるときの奴はいつもニコニコしていて楽しそうだった。機敏な奴じゃないけど海は好きだし慣れてるし、こういう仕事も向いてるかもな〜、となんとなく思ったが、それで日銭が入り女性にもてた日にゃ「人生なんて簡単じゃん」となめだしてしまうので、やめておこう。 関係ないが昨日北海道から4人のダイバーが到着した。彼らは我が家のためになんと北海道の海に潜ってワカメやホッケ、カレイ、イカ、ヒメタラ、イクラ(!)などを発泡スチロールの箱に入れて持ってきてくれた。早速みんなで食べたが、いやぁ、そのうまいの、なんの。肉をうまいうまいといって食べる北海道チームと、話すのも忘れ魚にむさぶりつくマウイチームは共にとても幸せな時間を過ごしました。 |
| 01年11月18日 |
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![]() ![]() 獅子座流星群33年ぶりに獅子座周辺から多くの流星が流れるというので、久しぶりにハレアカラの山頂に登ってきた。メンバーは斉田家の人間全員とマウイに住むカナの悪友Y、それと日本から「あったまきた」とマウイにずらかってきた大工ウインドサーファーI君だ。 目覚ましを夜中の1時にかけスノーボード用の服を着て(厚着はそれしかない)山頂についたのが3時頃。到着前から流星はそこかしこに見られそのたびに仲間から歓声が上がる。山頂には結構な数の見物客が来ていて、ここでも「ほー」だの「ひょー」だの歓声を上げる我等のようなグループとロマンティックに静かに星空をみあげながら「ハニー」だの「ダーリン」だのやってるベタベタグループが多数いた。最初はお手洗いがあるので観測所のそばに車をとめたが、ここは自転車野郎たちでいずれうるさくなるだろうと、一番上の駐車場に車を移動し、なるべく暗い場所を探し陣取った。 前から一度星空を写真にとって見たかったので、私は愛用のニコンに15ミリの広角レンズを引っさげて、瓦礫をかけ上がり三脚をセットしシャッタースピードをBULBにして絞りを開放にしてフイルムを何本か使ったが、いやぁ、流星も魚と同じで私がシャッターを押してないときだけたくさん出てくる。「んだよぉー」「あーあ」などと一人でぶつくさ言いながら遊んでいたが、どんなもんでしょ。まあ1枚でもちゃんと撮れていれば嬉しいのですがね。 流れ星に3回願いをかけると願い事がかなう、と言う。じゃあ短い言葉しか言えないな、という結論に達し、その後は星が流れるたびに「金、金、金」とか「肉まん、肉まん、肉まん」とか好き勝手な事を皆で叫んでいた。もちろん肉まん発言は我が息子で奴はその後持ってきたドーナツを車の中で一人で食べ、そのまま速攻で眠ってしまった。 しかしはるか頭上の東の空から帯びを引きながら流れてくる流星は時には我等の眼下、カフルイの町のオレンジの光に同化して見失うものもあり、それはそれは見事だった。てやんでぇー大工I君も「いやー、すごいものを見せてもらってありがとうございます」と感謝してくれたが、別に私が燃えながら飛んでいるわけではないので困ってしまうのだが。 夜空の祭典にケリをつけ、家に到着したときは朝の6時だった。うむ、6時45分にお客さんが港にくるではないかとカップヌードルカレーをおなかに突っ込みつつ厚着を脱ぎ捨て、海パンとTシャツ、帽子にサングラスといつもの海の格好に着替えながら、マウイ島って言うのは面白い島だな、とつくづく思いました。数時間前には凍えていたのに、今日もこれから海に飛び込むんだよなぁ、と。 夜中に起きだして3050mの山頂に上り凍えるような寒空の下、燃えるような沢山の流星を見たことをきっと子供たちは長い間覚えている事だろう。子供にまた1つメモリーを残せた事は私の写真の出来よりずっと嬉しいが、願わくば33年後にも思い出して欲しいものだ。そのときは一体どこで誰と見てるのかな?冷やかしてやりたいものだぜ。 |
| 01年10月06日 |
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週末にカウンティフェアに行ってきた。遊園地のないマウイ島の子供たちのために年に1回移動遊園地がやってくるのだ。メンバーはうちの家族とフラダンサーでサーファーのマリちゃん、初対面のダイビングの客であるが1日目から「さん」付けがなくなってしまい、タンク担ぎ奴隷となったマヤッパラの6人。涼しい風の中の田舎のお祭りはなかなか風情があり心がHOPする。左の写真は観覧車から撮ったもので我々の作戦は上から地理を焼き付け合理的に回ろうぜ、ということだったが実際乗ってしまうとみんなではしゃぎだし残念ながら作戦は失敗に終わった。 観覧車に乗る前に後ろのおばさんが「妊娠してるけど乗っていい?」と係員に聞くと「何ヶ月?」「9ヶ月」というやり取りのあとで、「Come On」といったのでびっくりしたが、自分の事は自分で責任取れよ、という大人の関わりがここにもあるのだ。 カーニバルはマウイにもこんなに人が住んでいるのか、というくらいのなかなかの賑わいで、娘と妻は昔ながらのゲームで商品のぬいぐるみ稼ぎに精を出し、我ら4人は息子のリードで絶叫マシンを乗り継いだ。最近の私のお気に入りは空中ブランコで風の中をぶん回される感覚がどうにも気持ちよい。マヤッパラとマリちゃんも一真も妙に早足で次は何に乗ろうかなどと興奮している。 いつもは何にもない土の空間を子供たちと元子供たちのウキウキハラハラゾーンにかえてしまう移動遊園地というのはなかなかロマンがある。働く職人さんたちに感謝だ。きっと木陰や芝生の上などで多くのティーンネ−ジャーのロマンスも生まれたことだろうな。君たちも魔法の一夜に感謝しろよ。 |
| 01年10月20日 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 10月14日にXTERRAという競技がワイレアで行われた。 友人のカメラマンが日本の湯本優という23歳の選手を撮影するというのでそれを手伝う事になった。この競技は最終戦が毎年ワイレアで行われ今年で6年目を迎えるというのに私は何も知らなかった。話を聞くとトライアスロンのワイルド版で距離は少ないが、道路の代わりにマウンテンバイクで山道を走り、ランもほとんど砂浜を走るという過酷なレースのようだ。私はその競技も楽しそうだが、一般人が入れないマケナからウルパラクラに抜ける溶岩地帯に興味を持っていたので取材車に同乗させてもらった。 レースはグランドワイレアの前の海を1.5キロ泳ぎマウンテンバイクに飛び乗り道路に出てからクラ方面に続く私有地を30キロ自転車で走り、その後マケナに出てビッグビーチから海沿いに11キロマラソンしてゴールのアウトリガーワイレアを目指す、というもので怠け者の私にはゴメンナサイという感じのレースなのだ。出場選手たちもゴツゴツした筋肉はないが、脂肪率7%以下くらいのしなやかな身体がそろい、私は自分のおなかをさすりながら今日は暑くてもTシャツを脱がないぞ、と誓ったものだ。 レースの方は南アフリカの選手がブッチギリで優勝し賞金をかっさらって行ったが、我らがユウも3時間を切り400人中22位と充分健闘した。面白いのが本人はレース前も「なんとかなるでしょ」って感じでいつも飄々としていた事で、そこには気負いのカケラもなく、う〜ん、現代の若者スポーツマンだな、とおじさんには妙にカッコよく写ってしまった。それで軽く結果を出しちゃうんだから本当にたいしたものだ。 たいしたものついでに書いておくと彼は日本人ではダントツの実力を持ちナイキ、チソット、マクドナルドなどにスポンサードされているのだ。その道ではかなり有名らしく、なるほど家にある何冊かのターザンという雑誌をパラパラめくるといろいろなところに写真と記事が出ているではないか。さらに驚く事に医大生の4年で頭もいいのだ。そしてさらに残念な事にこの23歳の青年はルックスもいいのでカナチャンもなにげにルンルンしているようだ。下の写真はウエークボード初TRYのユウです。どうです、ダサいでしょう.しかし私とカメラマンのおじさんに囲まれたユウは若さが際立っていてなんかズルイぞ. ![]() ちなみにレースが終わった今は我が家のOHANAに滞在しているのだが、いやぁ〜、食う、食う。朝からどんぶりに入れたシリアルをお替わりし、2時間後にはおなかが減ったとマフィンをまた食べる。そんな調子だから我が女将も夕飯に6人分くらい毎日作っている。日中は毎日ダイビングやウエークボード、サーフィンなどを仕込んでいるが、やっぱり運動能力が高くニコニコ笑いながら全ての遊びをそつなくこなしてしまう。変わりに私はキヘイのプールで水泳を教えてもらっているのだが、どうも肘を回すというのが苦手なのがわかった。で今は暇があればボートの回りをグルグル泳いで練習している結構変な奴になっているのだ。しかし最近困るのは若者にパワーがありすぎることで、いつもの私の至福の昼寝時間が失われつつあるのだ。だって横にいながら「遊びましょうよぉー、波乗り行きましょうよぉ〜」とニコニコした目がいつも誘っているのだ。 |
| 01年10月30日 |
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今年もハロウィーンの時期がきた。この辺りから正月にかけて我が家はイベント目白押しで毎年いそがしく過ごしている。なんせ12月にはアメリカ国民こぞってはりきるクリスマスと私と娘の誕生日も控えている。人生長く生きているとイベントのワクワク度も控えめになってきてメンドクセーとか思ったりするが、どっこい子供はそうはいかない。この日のハロウィーンも我が家の子供は何週間も前から自分の仮装をいろいろ考えていたようだ。何年か前からラハイナなどの繁華街には出かけなくなり、我が家のガレージでのんびり可愛い妖怪たちを迎え撃つ体制ができてしまった。この日も8時頃をピークにいろんな子供たちが来たが、気のせいか例年より少なかった気がする。テロの後の自粛なのかな。テロといえば今年はNYの消防士に扮していた子供がたくさんいた。やはり彼らは間違いなく今年のヒーローだ。 友人のミッチ、ミサポン、ミワコの3Mトリオも軽い足取りで遊びにきてしっかりと酒を飲み、ピザを食べ、子供たちと遊び「じゃ〜ね」といって夜の大人のパーティーに消えていった。彼女らの扮装はチャイナタウンの女郎屋のお上のようだったが当然本人達には言わなかった。 9時頃になって我が家もお開きにしたが、子供たちの集めてきたキャンディーの数がものすごい。その山を見て甘いものが好きな私は嬉しいような困ったようなあいまいな表情を見せた気がする。優と約束した体を鍛える宣言がこれではまた難しくなるではないか。 文を書いていてもつまらないので、その日撮った数枚の写真を紹介する。我が家の2件どなりの家は毎年家中をお化け屋敷に改造するので有名で、車に乗って遠くからも見物人がやってくる。去年はやらかしすぎて子供たちが大泣きしてしまったので、今年は割と控えめだった。それでも魔女に扮した大人が「私の脳みその一部を食べるかい」などといって子供たちに特製キャンディを配っているのでうちの娘などは行きたがらない。それに比べて私は被り物1つのチョンマゲ野郎だ。ヤルキネ〜。
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| 01年9月08日 |
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![]() この1週間波のないまったりとした海が続いている。波乗り目的に来た人たちにはお気の毒だが、ダイビングのコンデションは優良な日が多く、普段見えないリーフが船の上からはっきりと見える。あー、こんなとこまでリーフが伸びているのかと新たな発見も多く、またダイビングポイントが増えそうだ。最近よくモロキニ島に顔を出す超フレンドリーなバンドウイルカのカップルも結構遠くから見つけやすく何回か大海原の上で遊んでくれた。船を完全に停めても船首で白いおなかを出して上目遣いに遊ぼうよ−となついてくる姿は本当に可愛い。友人が写真に撮ってくれたのでそのうちに公開しよう。 で、波乗りのできないこんな日は仲間を連れてウエークボードやナイトダイビングにいそしんでいたのだが真っ暗な中に船を出して降るような星空の下を潜るのはアドベンチャー気分いっぱいでなかなか面白い。左の写真はその時のダイビングで捕ってきた獲物をつまみにBBQをしたときの1枚だ。結構飲んでいたのかジンボが私にもて遊ばれている。何をされても怒らないジンボ君はミカコに尻尾をつかまれながら海の上をすいすい泳いだりもするのだ。 うお〜!! 今この日誌を書いているときにオーブンが火事になったぜ。スイッチを切ってもバチバチバチと火花を上げながら燃え上がるオーブン。「逃げろー」と叫び妻と子を外に連れ出そうとした私の手からスルリと抜けてブレーカーを切りに行った冷静な妻のおかげで何とか鎮火。また私の慌てように家族に大笑いされてしまった。しかしアメリカ生活20年でオーブンから出火なんて初めてだぞ。まだ買って3ヶ月なのにどーしてくれる。 ちょっとHOLOHOLO気分が凪いじまった。MTV Awardでも子供と一緒に見よう。ということで今日のタイトルはディープパープルのBURNにします。 |
| 01年9月17日 |
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9月11日の貿易センターテロ事件からテレビに釘付けの日々が続いていたが、そろそろ仕事に復帰しがんばらなければ、という気になってきた。ブッシュ大統領も昨日のテレビでアメリカ国民に向かって"Go Back to Work"と呼びかけていたではないか。んが、しかし事件以来当然のことながらうちのお客さんも全員キャンセルで仕事がないのだ。で、今こうして机に向かっているのだけれど、正直今回のこの事件は感想を書こうかずいぶん迷った。自分の気持ちがコロコロ変わるのではないかと言う気がするのだ。写真は友達のヨットの船首に飾ったハート型のプルメリアのレイだ。彼は新婚旅行の間このレイをかけてハワイ諸島をセーリングした。最近あまりに回りが星条旗と愛国心で溢れかえっているので今はこんな写真がほっとする。私的には今はLOVEという四文字をもう少しアピールしていきたい気がするのでイルカの写真をアップした。ある牧師さんが報復は後味が悪いだけで、誰もHAPPYにならない。自分を小さくするだけだ、といっていた。お仕置きは必要だが報復はすべきではない、と言う訳だ。私もその意見に一番近い。死をも恐れぬクレイジーな奴らと面と向かって戦争するには我等一人一人は尊過ぎる。 興味深かった事が1つある。TVキャスターがニューヨークの学生にインタビューしたところ、結構リベラルな生徒も"以前はミリタリーなんて必要ない、戦争なんて最悪だ、と思っていたがこのような一連の動きを実際に見て私たちは強い国に守られているのがわかった、正直ホッとしている"と感想を漏らしている。日本も同じ状況になったら彼のように意見が変わる人は沢山でる、と断言する。人間なんてそういうものだ。アメリカのために戦ったベトナム戦争の英雄が本国に戻ってきたら石を投げつけられて人殺し扱いされたのは私の記憶に新しい。なんせ私もそう思っていたのだから。彼らは今でも後ろめたそうに"I went to Vet"と小さな声で言うが、この事件の後は彼らももっと理解されてくるだろう。 この事件で世界の子供たちはぐっと大人になり、戦争とは、世界とは、宗教とはと考え出したに違いない。願わくばこれを教訓として敵を憎む事ではなく、人間の弱さと脆さを理解できる大きなハートの人間に育っていって欲しいものだ。 最後になりましたが、テロ事件の犠牲者、関係者に心からのお悔やみを申し上げます。ニューヨークの一般市民からテレビを通じて"勇気"と言う言葉がメッセージで出ていました。 |
| 01年9月26日 |
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妻も子供も犬も猫もゲッコ-も寝静まった夜にタンカレーを飲みながらこれを書いている(と言ってもまだ12時前だが)。ゼロ掲の約束どおりホロホロ音楽を作成していたのだが結構酔っ払っている。なんだかいろいろあった9月だが、子供たちの寝顔を見ていると俺が守ってあげなきゃなぁ、という気になってくる(実はよく一人ならばいろんな場所に旅に出られるのになぁ、などとも思っているのだが)。これが男の本能というやつだろうか。あなたは喧嘩した事がある?と妻に聞かれて思い返したときに、当然無いとは言えないが自分から手を出した事は無いような気がする。人を殴ると言う事は多くのエネルギーと理由が私には必要だ。自分の子供の頃の喧嘩は理不尽につかみかかってきた相手がいたときに限られていたと思う. いきなりこの国が頭をたたかれ私の生活も回りの友達の生活も脅かされている。一般市民を巻き込む戦争は反対だがこのNYテロの主犯者には出てきてもらわねば困る。不意打ちを食らわして穴の中に逃げ込むような男がどんな屁理屈を言っても許されないのだ。うちの冷蔵庫を空っぽにしたのは会った事も無い某ラディンとやら、君のせいだろ。だいいちこの日記にそんな難しい事も血生臭い事も書きたくもないんだぜ。 実は上の文を書いてから2日たっている。今日は28日だ。お酒の入っているときの文はあっちに行ったりこっちに行ったりで脈路がない。そのうえ酔っ払いオヤジの戦争話になっていたので潔く削除してしまった。 昨日のお昼に電話が鳴った。いつものように出ると長い無言の後に「…パパ…、」とシクシク泣きながらささやく娘の声が聞こえた。娘の海香子が外から泣きながら電話してきたのだ。すわ、身代金目当ての誘拐か、はたまた事故にでもあったか、私の頭の中はパニくりながら急回転したがよく話を聞くとどうも図書館で目当ての友人が見つからずひとりぽっちになってしまったらしい。迷子と言うやつだ。「よし、すぐ行くからそこから絶対うごくな」とシクシク泣きながら慣れない電話をしてきた娘に指示を与えながらも、大したことじゃなくてよかったとホッとする反面、〔私をビクトリアとお呼び〕の超気の強い娘が私に助けを求めているのだ。そして知らない社会でひとりぽっちになってしまった小さな娘の胸中を思い、私の胸は切なくキュンとなってしまったのだ。 よく考えれば身代金目当ての誘拐など我が家にはありえない話だが、これから子供たちが大きくなるにつれてこのようにあせくる事は沢山起こるのだろう。こんな小さな事件を通しても幸せな日常生活なんてとてもフラジャイルなものだな、と改めて認識してしまう。そんなフラジャイルな世界に生きている私達はやりたいことをどんどんやったほうがいいのだ。我慢を重ねるほど人生は長くない。 「えー、HIROさんの胸がキュンとしたって?」と今日この話をした友人が面白がって是非HOLOHOLOに書いてくれという。彼は私が物事を考えていると言う事にも非常に驚いた失礼な海仲間の一人だが、やっぱりこの日誌に日常の些細な事を書いていけるうちは幸せなのだな。 注】私をビクトリアとお呼び!事件 ある日娘が名前を変えたという。冗談だろうと思ったら友達にもはたまたその父兄にもCall me Victoria.と触れ回っている。宿題やノートにもVictoria Saitaと書き、朝起きたら自分で忘れると思ったのだろう、部屋にもMy name is Victoriaと書いた紙をペタペタ貼りまくっていた。彼女は1ヶ月近くVictoriaだったのだろうか。本人は今ではすっかり忘れているが、いやいや振り回されました。 |
| 01年8月02日 |
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| モロカイ島からオアフまでの52キロを腕のパドルだけで渡りきる過酷なパドルボードレースの撮影をした。 日本からはアラキタクジが2度目の挑戦。前回の初挑戦のときが割といいペースだったので今回は本人も回りの連中も結構リラックスしている。夜にはそれぞれが持ち込んだ弁当を、降りしきる流れ星の下で食べ、馬鹿話に花が咲いた。今回はタクジ以外に日本から同じくライフセーバーの若手、飯岡君とチトセちゃんも参加している。彼女はオアフ島のライフセーバーでベイウォッチハワイにも出演しているKTという明るくたくましい女性とペアを組む。 レース当日は朝からの風と風波で海はぐちゃぐちゃのコンデションだった。しかし背中から来るうねりと風を上手く捕まえレース中盤までは前回を上回るペースで快走していた。一方われわれ撮影クルーの乗り込んだエスコート艇は20フィートの小船でカメラマンは頭から転ぶわ、中の機材はビショシショになるわで外洋のうねりに翻弄されていた。海の真中には幾たびかのドラマがあるもので、この日も目指すオアフ島の真上にくっきりと半円形の虹ができたり、必死にこぐタクジを励ますかのように彼の周りでイルカが何回も跳ねたり、もまれながらも楽しいひと時を持った。 事件がおきたのはオアフ島のサンディービーチの沖合いだ。ゴールのハワイカイを目指すには潮の流れを利用してかなりコースを右にとって走るのだが、いかんせんこの日は潮流が逆だった。サンディービーチから一向に進まない。漕げども漕げども進まないタクジはパドルをやめ、ボードの上に座り天を仰いだ。逆の流れにはまること2時間だ。タイムリミットは8時間、それ以上は失格になる。残るは30分。すると突然、彼はワーッと大きく吼えて猛然とダッシュし始めた。あきらめたくなかったのだろう。ここからは記録より自分との挑戦だ。潮流をうまく捉えた人の入賞はすでに決まっている。しかしここで止めるか完走するかで彼の気持ちはずいぶん違ってくるはずだ。 ようやくサンディービーチの難所を過ぎ、ハナウマ湾沖にくると潮の流れも弱くなったようでタクジの板が滑り出す。前方にいるパドラーを3人ほど抜き去りひたすらゴールを目指す。われわれも写真やビデオの撮影のことを忘れ、声を限りに応援する。精神的にも肉体的にもぼろぼろの彼だが、腕だけは機械のように動かしつづける。「タクジー、あと12分だー、絶対いくぞー」と私が叫んだとき、彼はもう一度吼えた。今まで静かだったキャプテンも英語で必死に応援し始める。感動で目頭が熱くなる。彼を動かせるのは我々の応援しかないような気がしてくる。 ゴールシーンを撮影するため我々の船は一足先にゴールに向かいタクジを待つ。8時間に20分ほどオーバーして彼が到着。しばらく海にしゃがみこみ立つこともできない。残念ながら記録は失格だが、今回のレースから彼は大きなものを学んだはずだ。 落ち込んだ彼を励ます時間もなくオアフ島を離れ、マウイの空港に到着したとき彼から電話が入ってきた。 「HIROさん、ありがとうございます。海の脅威を学びました。来年からの僕は強いですよ。見ていてください。」と、とことん付き合いたくなるような発言をした。 ちなみに今回のレースは大荒れで途中キャンセル続出。日本勢は全員時間外だが完走。チトセ、KTチームは8時間オーバーながら女子の部では一番早かったようだ。 余談だが私の撮影したタクジのレースの模様が7月13日に日本のESPNのスポーツアイ、MOVIN' YOUという番組でオンエアされた。どなたか見た方いらっしゃいますかね? |
| 01年8月08日 |
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| むーぎわらぼおしは〜もうきぃえぃた〜の夏真っ盛り、皆様お元気にお過ごしでしょうか。 ZEROのお客さんも5月や6月の新婚さん一色から家族連れが目立ってまいりました。 ダイビングでは柴田ファミリーが、10歳の最年少ダイバーのタカ君を先頭に12歳のお兄ちゃんと可愛いお母様が連日潜りに来てくれています。今日はモロキニ島で念願のマンタに会って感激していましたが、もっともっと色々な動生物に出会って海の魅力にどんどんはまっていって欲しいなぁ。 もう一組の少年は大阪から我が家にサーフィン合宿に来た2のカツヤと中2のユウジです。息子のカズマとは気が合うようで一緒に波乗りに行ったりスケートボードパークに行ったりと1日中動き回っています。12日には近所で子供たちの波乗り大会がある。初出場の弟のユージにはぜひ頑張ってもらいたいものだ。彼らの年だと全ての経験が確実に記憶に残る。外国生活は若いほど良い。親抜きでマウイ島まで合宿に来たこのボーイズ達は日本の政治家よりよほど国際的センスを持っていて、アメリカ人にもすぐに好かれる。高校生のカツヤは日本の高校卒業後、カリフォルニアに留学、そのあとにマウイ島の短期大学に入るそうだ。みんな将来が楽しみだが、私も油断をしないで体を鍛えておこう。 少年達が来てから息子もヘタクソな日本語を頑張ってしゃべっている。私が少年をショーネンと呼ぶので、奴も「ショーネンがさぁー」などといってるが、それが変なことには全く気づいていない。 |
| 01年8月21日 |
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昨日ネボケマナコで6時におきると取ってないはずのマウイニュースが芝生の上に投げ入れられていた。?と思いペロッとめくるとスポーツ欄にカナとミカコの結構大きい写真が載ってるではないか。これは一昨日行われたOLEのロングボードコンテストの記事で彼女らがタンデムの部で3位になったときのものだ。キャプションにはカナサイタとミカコサイタが大きな笑顔で帰ってくる、みたいなことが書いてある。どうもコンテストになると普段パドルもしないミカコも張り切りだしブリッジやら逆立ちやらデッドコックローチやら多彩な技を繰り出すそうだ。 負けず嫌いなカナも形勢危うしと見るとミカコをよっこらしょと肩に担いだりして、なかなか奮闘したらしい。 新聞が家に届けられたのは家の周辺の新聞少年がカズマの友達のサーファー君なのできっと奴は"オー、カナとミカコではないか’と一部ぽんとプレゼントしてくれたのだろう。 実はこのコンテストの1週間前にも近所の海でHee Papa Naluと言う子供の為の波乗り大会があった。去年から始まったこの大会はこの場所を愛しながら亡くなってしまったある若者のために主催されたのだが、今年は参加者も100人余りに膨れ上がった。子供が好きだった彼も空の上から喜んでいるだろう。 大会は海への感謝と子供たちの無事を祈るチャントで始まり、顔見知りのサーファーたちがジャッジをしたりオレンジを切ったりとボランティアに回っていた。コンデションはあいにくの小波とテントが飛ばされるような強風であったが、参加する子供たちはそんなことは屁とも思わず接戦を繰り広げていた。左の写真はそのときの1枚だが、大人が参加できるタンデムの部が結構な人気があり、中には犬 をパートナーに参加していたつわものもいた。結果はともかくこのように大人が見守る中、日頃の成果を思いっきり出しあえ、海でのルールを学び上達していく子供たちは幸せだ。主催者ならびにボランティアの人たちお疲れ様。また1時間も離れた場所から応援に駆けつけてくれた高橋さんご一家、娘や息子の入賞を自分のことのように喜んでくれたYUちゃん、家に送るといいながら私に連れてきてしまわれたコウさんファミリー、感謝です。 母と娘の二人乗りの写真を撮っている私は「何でおまえがやらないんだ?」とよく尋ねられる。これって結構立場がないのだが、実は1年程前の娘とのタンデムでノーズが水に刺さり彼女の身体がすっぽり水中に入ってしまったことがあった。ひどいパーリングにビエーと泣きながら出てきた彼女はそれから私を全く信用してくれないのだ。 |
| 01年8月02日 |
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お盆も終わり久しぶりの休みだ。今日は水にぬれないぞーと朝から庭の手入れをして、手に豆を作って気に入らない草木をなぎ倒し、子供がいないのをいいことに,,昼からカナとジャッキーチェンのラッシュアワー2を見に行き、映画館で涼む。 その後カフルイの街へ出てボーダーズで無駄使い。この日は33歳でなくなってしまったジャズフォーク系シンガーEva CassidyのLive at Blues AlleyとTom Waitsの名盤The Heart of Saturday Nightを買った。 飯を食い子供が寝てからCDとRed Bullのビールをセット。{Tom Waitsを横浜で見たのはもう20年以上前だよな、そういえば晴海でやったSave The WhaleのコンサートにもJackson Browne達と一緒に来てたっけ、どういうわけか日本からはイルカがでてたよな、あん時のあいつは今なにやってんだろうなぁ}などと頭が過去にスリップしていく。久しぶりの静かな夜の一人の時間は精神が自由になるようで結構好きだ。 写真は某雑誌社からローカルの生活というテーマの取材を受けた時に、適当に話していたら妙に受けてしまい、「巻頭特集にしまーす」と載ってしまったやつだ。20年程前にアメリカ本土にいたときは日本人がいなかったため外人とばっかり付き合い、自分のアイデンティティが妙に揺れていたが、今は普通に心のままに暮らしていてとても楽だ。 しかし転がる石のように田舎へ田舎へと都落ちしてきた根無し草のような海乞食一家に見開き6ページも割いてしまっていいんですかね。わたしゃ、しーらないっと。 |
| 01年7月12日 |
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ここ数日スタッフの帰国なのでキャプテンを雇って私が潜る日が続いた。久しぶりに潜るモロキニ島は相変わらず透明度が抜けていて漂うだけで幸せな気分になってくる。これはその時に撮ったセンターリーフでの1枚だ、カスミチョウチョウウオの群れです。このときはるか下、水深50Mくらいの所にマンタレイがのんびりと泳いでいるのを発見。近づくには深すぎるので後ろからついて来るお客さんに指を指して教えたが、みんな喜んでブワーと深く行ってしまった。私的には水深20Mほどのこの珊瑚と小魚の群れの方がピースフルで気持ちよいと思うのだがやはりダイバー諸氏には大物との遭遇が嬉しいようだ。 夏が近づいてくるとマンタレイやイルカとの遭遇が増えて嬉しいが、モロキニ島で一番の珍種は私が水中に潜っている事らしい。水中で遭遇する新人のアメリカ人インストラクターからは「こいつは誰だ?」って感じで見つめられ、私を知っている人は「うわっ、HIROが潜ってる」って感じでシャカサインを送ってくる。自分では気がつかないのだが久しぶりのボートダイブでは随分のんびりやってしまったらしく、いつもより終わる時間が全然遅かった。ボートで待っているときは時間が長いのに潜っている時はすぐに時間が流れていく。人間の時間の観念なんてつくづくあてになりゃしない。こんな調子で楽しい生活ばかりしているとあっという間に60歳位になってしまうかもしれないなぁ。気をつけよう。 この日たまたまカメさんポイントでアカスジモエビの場所を教えてもらった。このお掃除エビは口を開くと歯の掃除に口の中まで入ってきてくれるのだ。過去に経験のある私は自信を持ってレギュレーターを外し珊瑚の横で口を開き待った。んが、5秒待ってもエビは亀裂の中から全然動かない。お客さんが見守る中、口を開けっ放しの私は全くマヌケな姿だ。どーすんべー、苦しいなぁーと思っている時にぴょこんと口の中に入ってきてくれた。フーッ |
| 01年7月22日 |
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子供達が休みで毎日うるさ〜い日が続いている。息子の一真を日本に送ろうかと考えたが、本人は「夏休みはサーフィンの練習をしたいからマウイに残りたい」、などと言い出した。そんな理由ならしょうがないと妙に海遊びに理解がある親はすぐに納得してしまったが、あとで考えるとアレは奴の作戦勝ちって気もする。奴はこれで3ヶ月の「何もしない自由」を獲得したのだ。なんか口惜しいので夏休みの間に日本語の勉強を条件にした。友人が教えてくれたおかげで今では"コボチャン"と゛天才バカボン゛くらい読めるようになってきたが、まだスラムダンクは難しいらしい。 さて写真は来る8月のサーフコンテストに向け海香子とタンデムの練習をしている時の1枚だが、彼女は板の上で仰向けになって手足をバタバタしてるだけだ。これはデッドコックローチといい、死につつあるゴキブリの真似なのだが、れっきとした笑える技でクレジットされる。しかし馬鹿な親子の図だ。大会には私は出ないがカナとカズマとミカコは妙に盛り上がっている。中でもこの1週間ほどのKAZUMAは妙に波乗りが上手くなり、このままではますます奴の鼻が高くなると夫婦そろって危機感を募らせている。前回の大会でカナが1回戦負けで一真がマウイ島で5位になっちまったもんだから本当に生意気な事を言うようになったのだ。昨日できなかった事がすぐにできるようになるのが子供のすごい所で私などこの1年進歩どころか後退してるように感じる。いいけどさぁ。 最近またウインドサーフィンをはじめた。もともとウインドが好きでマウイ島に移住してきたわけだが、友人のウインドでの事故や波乗りへの興味などでここ4年くらい数えるほどしか行っていなかった。たまたまマウイ島に住むウインド好きな人に私がダイビングを教えることになり、彼が面倒くさがる私のお尻をプッシュしてくれたのだ。 やりだすとやはり楽しいもので4.5のセールで子供のように叫びながらプレーニングしている。話を聞くと私がウインドから遠ざかるきっかけにもなった亡くなってしまった友人を彼も古くから知っているらしく、ウインドからマウイの生活までいろいろと世話になったらしい。縁とは奇妙なものだ。 勝手に行っちまったSさん、あなたの弟子に私はまたウインドに誘い出されてるんですよ、どーするよ。 |
| 01年6月05日 |
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息子のカズマが小学校を卒業する。今日は卒業式ではないが、カアナパリビーチホテルで卒業生と親参加のパーティーがあった。この年になると私達が行ってもどうせ子供同士ツルンでしまうので、一人で行かせたが、当日の朝は「これ、頭にどのくらいつけるの?」といつものぼさぼさ頭を治したいらしく、私のシェービングクリーム(!)を持ち出したり、滅多にはかない長ズボンを履くと、横にサイズの書いたシールが貼ったままだったりと、笑わせてくれた。消しゴムで靴の汚れをシコシコとっている彼の後姿を見ていると何となく感慨がわいてきて、「写真とってやるから外へ出ろ」といって撮った1枚がこれだ。全く私的な事だがHOLOHOLOは日記をつけない私の日記なので読者の人には許してもらおう。 おもえば10年以上前にゼログラビティをたちあげて結構忙しい時に生まれた子だからお客さんにオムツを取り替えてもらったり、子守りを頼んだ事がよくあった。最近ではその頃のお客さんが、アメリカ人とバリバリ遊んでいるカズマを見て、「もう何を話していいかわからない」と昔を懐かしがる。 庭のプルメリアを摘んで母親に作ってもらったレイをかけ出かけていった彼の夢は美味しいレストランをだすことだそうだ。子供をほっぽらかして波乗りに向かう途中、小学校の脇を通るとパーティーに参加した親の車がずらっと並んでいるではないか。「KAZUMA、ワリー」とちょっとだけ胸が痛んだ不良親父である。 |
| 01年6月23日 |
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| なんなんだろう。HPをリニューアルしてほっとしてしまったためか、毎日海に行っているせいか、最近PCに向かう気力がなくなってる。何回かホロホロの更新も試みたがいつも途中で挫折してしまった。昔みたいにパッパラパ〜と書ければいいのだが、最近ありがたいことにホロホロの評判がいいので、下手な事をかけない気になっているのだ。冗談でゴーストライターが書いてるんだと言ったら“やっぱりね”と軽く信じてしまった友人もいるが、なんでやねん。どうも私が文を書くことと、えらいド近眼の事は多くの人には意外なようだ。ついでに声がいいから歌が上手いでしょ、とか足が細いから走るの速いでしょ、とか色々言われるが、そのたびにみんなの期待をブチ壊している。本当にすんまへんなぁ。 最近面白かったのは夫婦の結婚10周年記念ということで友達6人で私の船をチャーターしてくれたグループがいた。私と歳が近い人たちでそれぞれプロデューサー、ヘアメイク、コピーライター、フォトグラファーなどの仕事を生業にしている。何回かあってスポーツバーやBBQで酒を飲むうちにすっかり打ち解けて、仕事とは、自由とは、生活とは、女とは、クリエイティブとは、などなどいろんな方面に話題が豊富に弾んでいった。 最後の晩にはプロデューサーご夫妻の結婚10年記念のケーキカットと熱いキッスがしっとりとねっとりと実行され、奥方がケアリイのフラを披露され、窓の外では新月に近い上弦の月がヤシの葉をかよわく照らし、波の音が控えめにさざめき、静かに確実にかっこよくマウイの夜がみんなを満たしていった。 その時突然、“ビエ〜ン、帰りたくないよ〜ん”とヘアメイク4?才のSちゃんの号泣がwith鼻水で始まった。回りの僕らはあっけに取られ、一拍おいて大爆笑。その模様をここに載せられないのが残念だが、繰り返す帰りたくないコールとともにでてくる純粋な涙と鼻水はとってもきれいでしたよ、しまちゃん。 数日前に友人がサーフィン中に足を深く切ってしまった。たまたま通りかかった救急車は傷を見て“問題ない、救急車に乗るほどの怪我ではない”といい、クリニックを紹介してくれた。そのラハイナのクリニックは昼時なので先生が全員昼飯に出てしまい(!)、別のクリニックにまわされた。その医者は手当の途中でいきなり事の重大さに気付いたらしく“オーマイゴッド”と殆どパニックになりながら“私にはこれ以上処置できないから救急車で病院に行きなさい”だって。7センチくらいの深さで動脈まで切って血がビューンと噴出しているのだ。そこから救急車でマウイメモリアルホスピタルのエマージェンシーに連れていかれ何時間も待たされ、治療が終わったのがなんと6時間後。最初に問題ないといった救急隊もひどいが、医者全員で昼飯に出てしまうクリニックも治療の途中でパニくる医者もエマージェンシーで2時間も待たせる病院もみんなひどい。おちおちマウイでは怪我も出来ないぜ。 彼女は両足とも縫われ結構の重症だが心の優しいハワイアンの友達がマウイ使用のビーチにも行ける車椅子を用意してくれた。そして、そのタイヤの丸い1輪車を見たときには怪我人とロコの友人には申し訳ないが、僕らは「ぶわはは〜」と大笑いをしてしまった。 |
| 01年6月28日 |
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感激覚めやらぬうちに昨日の出来事を書いておこう。 すでに掲示板や、トップページに書いたが、昨日100頭ほどのハシナガイルカに遭遇した。レッドヒルというポイントでダイバーが上がるのをポカンと待っていた私は沖の海がバシャバシャ白波だってるのを発見。よーく目を凝らしてみると突然水面から3回転ほどの見事なきりもみジャンプ。スピナーだ。それも1頭じゃない、あちこちで水面が白波だっている。ジワーッと興奮してきた私は素潜りで海に飛び込みボートの下にいたダイバーに手のひらを丸めイルカの合図。すぐに察したヨシGはダイバーをボートに上げた。あせる気持ちでアンカーを引き上げ、ハシナガイルカの群れに接近。近づいてボートを微速にするとなんと前にも後ろにも左にも右にもイルカだらけ。囲まれている。そのままゆっくりとボートを走らせるとそこここでジャンプしたりひっくり返ったり船首の波で遊んだりの光景。あまりなつかないはずのハシナガイルカが延々とボートの回りをついて来る。思うに70センチくらいの赤ちゃんイルカが数頭いるので好奇心旺盛で警戒心の無い彼らが先導してくるのかもしれない。ザトウクジラの赤ちゃんが見せる習性と全く同じだ。 そのうちに近くの船もイルカの群れに気付き集まってくる。3隻ほどの船がイルカに囲まれ全ての船内の興奮が伝わる。そのうちの一つの船がシュノーケルをやりだし、小さな排気口から゛ピー”とか“キャー”とかよくわからない喚声が聞こえ出した。我々は少し先回りをし穏やかな場所に船を止め、お客さんの水中デジカメをお借りしヨシGが海に入る。真後ろから我々の方に何十の背びれが見えあっという間にそこかしこにイルカが現れる。先ほどのアメリカ人と同じにヨシGも“ンガー”とか“ホエー”とか訳のわからない日本語(?)をシュノーケル口からうめいている。その時の写真がこれだ。乗り合わせたカメラマンの友人ははじめての野生のイルカの群れの光景にただただ目を丸くし、45歳の少年を剥き出しにした。飛び込んで水中のイルカに会った彼は゛あまりに映像的で現実感が無い゛とカメラマンらしい感想をはいた。しばらくすると回りの船がスケジュールどおり、港に帰り始めた。我々もちろん帰らない。お客さんももちろん文句は無い。またしてもアロハカイとイルカだけの時間が流れる。しかし美味しい時間は長くは続かないようで、そのうちに二艇のカヤックが我々の周りにいるイルカ達を発見、壊れたぜんまいのように腕をブンブン振り回して必死の形相でこっちに漕いで来る。しかし漸くイルカに囲まれると、なんともいえない幸せそうな、ふやけた表情をしてフニャ〜と笑って我々に手を振る。イルカが人を癒すってのは本当なのだ。不思議な事にイルカ達はワイレアのウルアビーチ沖まで来ると示し合わせたように方向を変え、マケナ方面に戻っていった。このまま行くとマアラエア湾のかなり内側に入りこむので方向を変えたのだろうか。遠くにウインドラインが見え始め海が荒れるのを察した私もそのまま港に引き返した。その間約1時間半、出会った全ての大人を無邪気な子供に変えてしまうイルカ達、いやぁ〜、たいしたもんだんべ。 |
| 01年5月05日 |
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さて皆さん、素敵なゴールデンウィークをすごしましたか?おかげさまで私のボートも連日満員でいろいろな人と出会い楽しく仕事をさせてもらいました。昨日はダイビングのライセンスを無事に終了したサーファー君とウインドサーファー君達でボートをチャーターしてくれました。最初はモロキニ島でファンダイビング、その後はウエイクボードで遊びましたが、まったりとした癒し系のダイビングとアドレナリン系のウエイクボードのコンビネーションは結構お勧めです。 スクーバダイビングではゼログラビティ(無重力)の世界を堪能し、その後は一人5回トライのウエイクボード。経験者の妙技に拍手喝采し、初心者の転び方に大爆笑し、最後はうちのスタッフまで加わり大いに盛り上がった。いまでこそウエイクボードはポピュラーになったが、私が遊んでいた12年程前はなかなかハワイの店にも出回っていず、サーフボードを削ってウインドのフットストラップをくっつけて試行錯誤して自作したものです。当時はスカーファーと呼んでいて、ほんとに一部の人だけがやっていました。実はキャプテンとしても船の上で待つダイビングより大笑いできるので結構好きです。クジラの季節以外はリクエスト受け付けます。 さて、この2週間の間、なつかしい友達や、HPで仲良くなった人、偶然うちを見つけてくれた人、下は10歳から上は60歳までいろいろな人がボートに遊びに来てくれました。目的はダイビングが殆どだが、晴天のマウイの海を走らせているだけで彼ら、彼女らがどんどん開放されていくのがわかる。日常のしがらみがマウイの風に吹き飛ばされ、降り注ぐ太陽から元気をもらい、広がる青が心身ともに癒してくれる。ちょっと気障だがそんな感じだろうか。本当に皆いい顔して笑ってくれます。 多くのお客様がこんな場所に住めて幸せですね、と感想を漏らす。前回も書いたように現実はそんなに甘くはないのだが皆が船の上でそんな気持ちになってくれたことはとても嬉しく、キャプテン冥利に尽きる。全て恵まれた環境のおかげで、私は何もしなくても屋形船の船長さんよりお客様を喜ばすことができるようだ。 今日は久しぶりの休み、朝から庭の芝を刈り、スプリンクラーを直し、波乗りをし、COSTCOに買い物に行き、娘の捕まえたカニとハゼを入れるために水槽を掃除し、フーッと一息つき4日前のハワイ報知(新聞)に目を通す。するとヤヤヤ、キヘイに座礁したマッコウクジラ(!)が水族館に保護され手当てされた後海に戻されたが、やはり生き延びられなかったそうだ。うーん、ハワイでは滅多に見れない貴重なクジラだけにとても残念だ、などと思いつつ私の1日は平凡に終わるのだが、皆さんもゴールデンウイークが終わり、これからいつもの日常が始まります。頑張ってください。 しかしなんと20日間休みなしだった私の黄金週間はこれから本当に始まるのだ、ムフフ、いーだろ。 |
| 01年5月10日 |
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毎年何ヶ月もモロカイ島に単独で渡り地元のダンサーと一緒にフラを楽しむ美和嬢はスクーバダイバーでもあるのだが、水中世界を知ったときの彼女も見る見る間にダイビングを極め、見た魚の名前を片っ端から覚え千ドル以上するダイビング器材をポンと揃え、にやけた笑顔で水中を楽しんでいたっけ。そしてモロカイの女性たちと一緒になってとびっきりの笑顔でフラを踊る今の彼女を見てると九州女の好奇心の前には男も国境も無いのだな、などと半分感心しながら芝生に寝っころがり、ゆったりとしたハワイアンソングに浸っているとムフフフフとなんだか妙に楽しい気分になってくる。やってくれるものだ。 多分フラダンスを技術的に上手に踊る日本人はたくさんいるだろうけど、彼女のような人は貴重だ。思いっきり楽しみながら本場のフラにズッポリと浸かって正しいスピリットを継承していって欲しい。そして日本人=お金=ハワイ文化という流れを人間=人間という流れにして欲しい。そのためにはフレンドリーアイランドと呼ばれるほど人が親切で純粋なモロカイ島は最適な場所だろう。なんでも美和がマンゴーが好きともらすと、次の日には玄関いっぱいにマンゴーがやまなりになっていたそうだ。いい話しだ。 余談だが、大会のMCが一生懸命ビデオを撮るマルハチひろみ嬢にむかい"おー、日本人、誰と来たの?おー、ローカルボーイフレンド、グー”などと私のことを言っていたので失笑した。もう日本人に見られないのは慣れている。 |
| 01年5月16日 |
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ハワイカイのゴールにはタクジの友人達が待っていた。やがて他の日本人もゴールに入ってきた。全員完走、たいしたものだ。今度はこのメンバーで九州から韓国までアウトリガーカヌーで横断するらしい。その前にはオアフ島でオーシャンチャレンジと言うライフガードの大会も開かれる。そして7月にはモロカイ〜オアフを腕のパドルだけで横断する一番苦しいパドルボードレースだ。ウォーターマンは休む間がない。 ついでにいうと金にもならないのに男気だけで応援しつづけるカメラマンのケンジもたいしたものだ。そのうち彼らのやっていることが世間に認められケンジもみんなも潤えばいいのだが。 イベントが終わり我々は中華街で飯を食い次の日早朝からワイキキでサーフィン。8ドルで借りたレンタルボードは鉛のように思くどうなる事かと思ったが、ゆるいワイキキの波には丁度よかった。胸くらいのコンデションでまったりとしたサーフィンを楽しんだ。 午後からカイトサーフィンを買うというタクジに同行してカイルアに行った。私が昔ウインドをやっていた場所でとても懐かしく、ロビーナッシュの親父さんもおふくろさんも昔と変わりなく店にいた。カイルアビーチで練習用のカイトで遊ぶ。私はゲイラカイトにこっていた時期もあるから結構得意なのだ。 カイルアの帰りにボートに住む親友のランディの所に顔を出し、ビールをご馳走になる。アメリカ人の彼はモロカイをフィニッシュしたもう一人のライフガード、カズに"どうしてあんなに苦しいことするのか教えてくださーい」とたずねた。KAZはあまりの単刀直入な質問に返答に困っていた。自分でもわからないのか、理由など無いのか?それともエモーショナルな部分は言葉では説明できないか。 久しぶりにマウイ島に戻る。マルハチひろみ嬢とは入れ違いになったが、ウインドサーファーの友人がグリーンカードが取れましたと報告に来た。4年ぶりに会う彼はこれから住む場所と仕事を探すらしい。しめしめ遊び仲間がまた増えたぞ。 |
| 01年4月05日 |
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な、なんと子供達の学校が先生のストライキなので春休みが終わって1週間もたってないのにまた休みになっちまったい。まったくストライキをやるなら子供達が休みの間にやってくれと思うのだが、それではストにならないか。で、発作的に波乗りキャンプに行った。場所は南からのうねりがヒットする、あるサーフポイントの前。基本的にキャンプは禁止なのだが、釣りざおを1本立ててとけば「夜釣り」という名目で逃げられる。まあ、そんな危惧をしなくてもこの場所はある程度黙認されている様で、だれも邪魔する人は来なかった。 ポイントは道路の横で砂の上、というキャンプには最悪の条件だが、実際にテントを張ってみると悪くなかった。車の音は波の音にかき消されるし、砂は調理をしなければそんなに問題にはならない。かえって背中に優しくよく眠れた。テントの設営を終えて軽く海に入り胸肩の波でサーフィン。上を見るときれいな満月が輝いている。 その日突然参加のHは我らのテントの前にブランケットだけで野宿。「波に気をつけろよ」と教えたが、夜中の3時ころ大きな波に襲われ、びしょぬれになってしまった。実は私も10年ほど前に同じ経験をしている。その時はテントの場所をずらせなかったので前に防波堤を作って寝たのだが、大きな波はいとも間単にその手作り防波堤を壊し、テント内を水浸しにしたものだ。 朝6時半に波の音で目覚め、テントを開くと、海にはサーファーが3人すでに入っていた。顔を洗う代わりに海に入ると、彼らは十分に堪能したようで、すぐに我々に波を譲ってくれた。昨日と同じグラッシーな胸肩の波がずっと続く。レギュラーにもグーフィーにも行けるポイントブレークを9時頃まで楽しみベーコンと卵の朝ご飯を作る。日が高くなり、海が混んでくるまでビーチフロントのテントをベースに波乗り三昧の楽しい時を持った。 家に帰ると犬の調子がおかしく、妙に静かだ。ゲボッと吐いた内容をみると魚の骨が入っている。きっとキャンプ場で死んだ魚でも食べたのだろう。うんこは真っ白のゲリッピだ。私も次の日目覚めると、喉にヘヤードライヤーを突っ込まれたような痛みを感じる。熱を測ると38度。また扁桃腺やっちまったらしい。 二日経った今では犬も私も回復に向かっているが、とんだオチがついてしまった。 |
| 01年4月10日 |
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我が家のコテージに滞在した高橋さん一家をご紹介しよう。鎌倉からやってきた一家なのだが、高橋ダンナは高校の英語の先生を職業としながら、波乗り、アウトリガーカヌー、ウクレレ、フラ等をこなしてしまうハワイ文化大好き人間でアロハスピリットにあふれている。こんな先生に教わる生徒は幸せだと思います。波の高い日は欠席が多いらしいですが(おっと)、英語もウクレレを弾きながら教えているらしいぞ。 子供のマナとカズネは3歳と1歳、親の愛情をたっぷり受けて育った子は伸び伸びと遊び、伸び伸びと人と交わる。ピュアな大きな瞳を真っ直ぐに向けられてしまうと、なんだか照れてしまうのだが、自分の子が彼らくらいの歳だった頃を思い出す。 一昔前に日本でニューファミリーという言葉が流行った。夫婦でジーパンをはいてネルシャツをはためかせ、子供を真中に3人で手をつないで歩けばニューファミリーの出来上がりだ。当時を思い出すとサダマサシやミナミコウセツには申し訳ないが、所詮は外見だけの話だったような気がする。それに比べ高橋家のように夫婦が同じ価値観を持っていると(クリスチャンファミリーです。)、子供達は迷うことなく安心して大きく育っていく。愛情のシャワーを浴びて育った子供はまっすぐで強い。 最後の日曜日に高橋家と我が家はマウイ島の日系人教会に礼拝に出かけ、天地創造の神の声に耳を傾けた。そして教会の後は二家族合同の波乗りセッション、神の創造なされた「自然」に感謝だ。 |
| 01年4月16日 |
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なんとボートのパーツが壊れた。おかげで私も久しぶりに潜っているが、これが楽しい。自分のボートの場合はキャプテンとして私は船に残り、イントラ君とお客さんは当然のことながら、せっせと水の中に入ってしまう。その寂しい40分間、私は船の上で読書や腕立て伏せ、腹筋や懸垂、果てはカラオケの練習などをして過ごしているのだが、キャプテンをしなくて良い時はイントラHIRO吉が復活するのだ。 写真はうちでビーチダイブをしたお客様ならたいてい案内したと思うが、アヒヒベイという南の果てのビーチポイントで群れるヨスジフエダイ。このヨスジの群れとクリーニング中の海がめには99%(残りの1%は私の保険ね)会えるこのポイントは透明度もビーチではピカイチで白い砂と珊瑚が美しい。 昨日はそのアヒアヒ、もといアヒヒベイに潜った後、2本目のポイントを迷っていた。どこも風が入ってしまって透明度がなさそうなのだ。「やっぱり、やめましょうか」とあっさり中止を宣言した私に、「欲がないですね〜」、とはお客さんの声。コンデションが悪ければ無理をしなくても、他に楽しい時間の使い方がある、と思うのですよ。 今日のビーチダイブは1本目、ファイブケーブス(ケーブが5つあるらしいが、どのケーブの事やら)。透明度20mくらいある絶好のコンデションで体調1センチほどのオビテンスモドキ、珊瑚に隠れたフリソデエビ、洞窟の中で人間を避けているアオウミガメなどがいた。2本目はマケナランディング、なんと最初の洞窟に体長1.5〜2mほどのサメが5匹。いくらネムリブカとはいえ、真っ暗な洞窟の中に5匹だ。彼らに絶対背中を見せないようにして、じりじり寄ってじりじり逃げた。フーッ。その次の洞窟にもサメが1匹いた。実はその奥に入ると人間の頭が出せるくらいの空洞があるのだが、足元をサメが泳いでるので、「どーしよーかなー」とコンマ1秒考えて、即座に止めた。途中20センチくらいのソウシイザリ魚を発見。このイザリ君とじっくりと遊んだ。 というわけで最近の私は結構潜っています。ビーチダイブもなかなか楽しいですぜ。 |
| 01年4月24日 |
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今回は日本から熱いマウイのHPを作っているYUKIさんの登場です。残念ながら彼女の美貌は本人のリクエストで私の心の中だけにしまっておきますが、後ろを向いてるのがYUKIさんです。で、右の美女美女は大学時代からのお友達とのこと。ユキさんは、純粋な趣味のみでマウイのオフィシャルページとも呼べるようなウエブページを作っていて、MAUIの食べ物情報では右に出るものがいない、と言う噂。まったくその食に走る情熱には頭が下がる。彼女のウエブページはマウイブリーズといいます。私の回りにもマウイが好きで、毎年何ヶ月も来る子がいる。「マウイってそんなにいいかなぁ?」と聞いたことがあるのだが、「いいよー、HIROさんは住んでるからわかんないんだよぉ」といわれてしまった。 もし世界の快適環境度数などというものがあるとすれば、マウイ島は結構いい線いってるのだろう。しかし、生活がしやすいかと言うと別問題で賃金が安く物価が高すぎるのだ。家族4人で医療保険が毎月500ドル、光熱費、水道が毎月300ドル、車の保険やガソリン代、家賃などを考えると暮らしているだけで精一杯だ。 新聞によるとマウイ島の人口増はハワイ州の中で一番。その中でもキヘイが最高でなんと50%増らしい。何年前に比較してかはわからなかったが、人と家と車の増加は数年前の比ではない。願わくばこれ以上の開発は止めて欲しいが、これも住んじゃってる人の勝手な意見だろうか。 息子と床屋に行った時の理容師もマウイ島の開発には批判的で、欲張り政治家のためにこれ以上パラダイスがだめになるのを見ていたくないのでアメリカ本土に戻る、といっていた。寂しい話しだがイーグルスがホテルカリフォルニアでカリフォルニアの終焉を歌ったときもこういう心境だったのだろうか。愛しいからこそ嘆きも大きい。マウイ郡長もマウイを第二のオアフ、ラハイナを第二のワイキキにする前に何がしかの政策を打って欲しいと思う。日本にいる多くのマウイ信者の方のためにも。 今回はマウイ島の未来を考えてちょっと批判的になってしまったが、ここでGOOD NEWS。 やっとボートが直りました。明日ピックに行ってきます。ほんの一個のパーツに1ヶ月も待たされるなんて、田舎のだめさを思い知った。まったく責任感って言葉はこの島にはないのか?と怒っていてもしょうがないので、明日からは思いっきりカジキマグロを釣ってウエイクボードで空を飛んで、50M潜ってティンカーズバタフライを見つけてやる〜。 |
| 01年3月10日 |
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| 蛍の光、窓の…なんだっけ? 卒業旅行のシーズンです。家のコテージやダイビングのお客様もちらほら若い子が来てくれたりします。オアフ島に比べお店も少なく旅行料金も少し高くなるネイバーアイランドにステイする卒業旅行生は少ないけど、自分達でレンタカーを借り毎日意欲的にマウイの西から東までを攻めまくっている彼ら、彼女らを見ていると頼もしく思えます。きっと月並みなパッケージ卒業旅行者に比べれば、はるかに沢山の思い出を作れたんじゃないかな。 以前から思っていたことだが卒業旅行の女性の集団はハワイに優しく迎え入れてもらえるが、男性の集団はロコに温かい目を向けられるわけでもなく、かっこいい女の人と仲良くなれるわけでもなく、何となくかわいそうだ。本人達は自覚はないかもしれないが、ワイキキを歩く22歳の男の4人連れってなんかみんな淋しそうだ。あわよくばナンパの一つもしてみんなでロマンスの花を咲かせよーぜ、などと日本で盛り上がってた地元じゃ結構モテオ軍団もUHのナイスプログラム2ヶ月目って感じの色黒サーファー風おぼっちゃんや、日本語少しわかりま〜す系外人に狙った女の子をあっさり奪われたりして、一体何人の男がワイキキの海に向かって「バ、バカヤロー、ハワイなんかもう来ねーぞー」などと叫んだことだろう。 しかし日本男児の味方の私は「青年よ、ネイバーアイランドを目指せ」と提案する。そして男の卒業旅行から買い物とナンパなどという軟弱なテーマは捨てて、人間の価値と自然発見の旅に旅立つのだ。外人の多い熱海のようなワイキキを離れ本当のハワイを探しに行くのだ。観光客ズレしていない田舎町では頭のやわらかい君たちはきっと皆に暖かく迎えてくれるだろう。沢山接触して彼らの生き方を見てさまざまな事を感じて欲しいものだ。しかしその際人数は最大四人くらいにとどめて欲しい。それ以上だと異様だし威圧感がある。ついでだからいっておくけど、できることなら声デカゴルフおじさんと色白フラおばさんも最大4人までにしてほしいものだ。彼ら彼女らは人数に比例して図々しくなってくるような気がする。「お客様は神様です」何てのが通用するのは日本だけ。人間性が大切なのを忘れないで欲しい。 今回は海と関係ない話だったけど、実はおとといからモロキニ島の右端にハワイアンモンクシール(アザラシ)がチョコっと座っている。かわいいよ。 |
| 01年3月19日 |
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| 2日前から3〜4mの大波が入っている。昨日の新聞ではKIHEIの海に入っていた日本人が波に叩かれ病院に運ばれたそうだ。港の防波堤の上からはドッコーンと波が入り、泊めている船をユサユサ揺らし、船の水路はサーファーだらけになっている。そこから波のセットを読んで全速力で船を出すのだが、結構スリルがある。港に帰る時が最も緊張し、サーファーのラインアップの横で波を見ながらタイミングを計る。サーファーはいい波を待ち、ボートキャプテンは波の止まる時を待つ。毎年のように波に乗ってしまい舵が効かなくなり転覆するボートがあるのでこっちも慎重だ。港の丘の上からは多くの観客が波に乗るサーファーと波から逃げるボートを歓声を上げながら見物してる。無事に港に入ったときはホッとし、母なる港の意味がわかる。 そんな中、友人のリカちゃんから家の犬(JIMBO)を撮影に貸してくれという依頼がきた。大波のビッグビーチで果敢に海に入っていくジンボは海から出るときも波を見ながら巻かれずに出てくるのでサーファー犬の面目躍如だ。なんでも地球の歩き方のムック版のような感じでマウイローカルの本を作っているらしい。モデルのHANAちゃんが体調悪く変わりにサイタのカナチャンが日本一肩幅の広いモデルとしてデビューしたらしい。乞うご期待。 ちなみにJIMBOはキムタクとも竹野内君とも一緒に雑誌に載った犬だから、高いよといったけど、ギャラはBBQの残りの骨だけだったぜ。でも奴には紙のお金より100倍うれしいだろうから、まあいいか。 |
| 01年3月29日 |
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| 日本は桜の季節ですねぇ。きれいだよね。本牧の桜並木は健在だろうか? マウイ島も気温、水温も上がり、貿易風や、南からのうねりも入りだし、夏モードになってきました。 海のほうも安定しダイビング日和が続いていますが、いかんせんボートのステアリングのパーツが壊れちょっとお休みを余儀なくされました。その間何をやっていたかと言うと、以前から興味のあったアウトリガーカヌー(6人のり)に乗りました。ハワイの陸文化がフラだとするとアウトリガーは海文化って感じで、多くの町で育っています。掛け声は全てハワイ語で、ハーッ、ホオーなどと叫び前の漕ぎ手とタイミングを合わせ早朝のまっ平らな海をオールで引き裂いて進みます。タイミングが合ったときはカヌーがグイ、グイって感じで進み結構燃えます。思った以上にいい心拍運動になり、これはジムで体を鍛えるより100倍気持ちが良いと思う。 たまたまうちのコテージのお客さんが鎌倉アウトリガークラブのメンバーで日本で真剣にアウトリガーカヌーを伝承している一人だ。海に波がなくても風が無くても遊べるこのスポーツこそもっと日本に広まって欲しいと思う。町対抗でレースなんてお祭り好きな日本人にはぴったりだと思うけどな。 何日か前には近所のCD屋サン開店記念にケアリイ レイシェルのミニコンサートがあった。彼は大きなコンサート会場を満員にしてしまう人なのだがこんなとこでもやってくれるのが嬉しい。さすがマウイローカル。でもピンクのセーターを来た彼のママを客席に発見した時は頭が上がらない感じでかわいかった。とっても飾らないコンサートだったけど、無心で聞いているうちに何かが熱くこみ上げてきた。真剣な彼の歌、フラダンサーの踊りはとてもスピリチュアルで、それぞれ神様から授かった羨ましいタレントという感じだ。いいなぁ。一体私のタレントはどこにあるんだろうか??? 回ってきた漫画本にはまってしまった。スポ根漫画スラムダンク。全31巻を2日で読んでしまった。これが俺のタレントかい?さ、寂しい… |
| 01年2月14日 |
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| 天候の悪い日が続いている。今は朝の5時だが、すでに風が唸っているので今日はボートをキャンセルにした。 今日で5日くらいマウイ島は雲に覆われているが、この時期の旅行者は気の毒だ。抜けた青空も降るような星空も見えない。ハレアカラどうですかね?明日の海はどうですか?などと聞かれると言葉に窮してしまう。本当に映画や買い物くらいしかやることがないのだ。 こういう日に買い物などに行くと妙に体格のいい人や日に焼けた人が多く、知り合いなどにも良く会う。皆慣れない手つきで買い物をしながら大きな声で話してる。ああ、やっぱり海関係の人はみんな休みなんだ、と妙な連帯感を感じ、自分もボーダースなどに行き新しいCDの試聴などをゆっくりとする。 雨に慣れていないせいか、こんな日の道路はすぐに渋滞する。それでなくてもこの時期の道路は観光客の起こすクジラ渋滞(クジラが海に出るとみんな急に止まったりして危ないのだ)、ローカルの起こす波渋滞(季節には関係ないがサーフポイントのそばを通る時にゆっくり走り、波チェックを入れる)、自然の起こす山火事渋滞(冬になると乾燥して自然発火が多い)などが多く大変なのだ。 さて、空が明るくなってきた、むむむ、相変わらず曇っているが風は収まってきてるようだ。ボートキャンセルの決断を誤ったかな、いやいやマウイの海をなめたらアカン、こんな日に海に連れて行っても可哀想じゃん、と自分に納得させるのだ。 Happy Valentine's Day Every One! |
| 02年2月24日 |
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| 今日はやっとクジラのブリーチングが撮れた。現像してないのでまだ出来はわからないけど。 2月の中旬からクジラが本当に多い。急いでいる時は、おっと危ないと、よけながら走るんだぜ。最近は水面でホロホロしている地味な親子クジラには目もくれず、はるか数キロ先で「私を見て」とばかりにブリーチングやスラッピングなどのパフォーマンスを繰り返してる派手クジラ達に目がいってしまう。地味なクジラに悪いなーと思いながらも「ごめん、またな」とサヨナラして派手系に走ってしまう自分は昔と何も変わってないではないか。あれっ、何の話でしたっけ? とにかくカウアイ島では子クジラがジャンプして船の中に飛び込んで見物者が負傷したと言う事件があったばかりだ。やっぱり派手な奴には気をつけよう。 クジラには90m以内には近づけないが、クジラから来る場合にはOKだ。近いときには数m先まで寄ってくる。そんなときは海に飛び込みたい衝動をぐっと押さえて水中カメラを水の中に突っ込んで見当をつけてシャッターを切ったりする。またお客様のダイビング中は私は船で待っているのだが数10mにクジラが接近するといそいそとダイビング器材を背負い片手にスポンジを持って船底掃除のフリをしながら愛しいクジラを待ったりする。これというのも数回会ったクジラとの水中遭遇が忘れられないからで、水面でクジラの上部をちょろちょろ見るのと水中で十数メートルの複数のクジラの全身を見るのとでは感動度が全く違うのだ。 今年も何人かのラッキーなダイバーが水中でクジラに会っている。その神々しい姿は彼ら、彼女らには一生忘れられないものだろう。素直に羨ましいと思う。そして私は明日からもスポンジ片手に船底掃除に精を出すのだ。 |
| 00年2月27日 |
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| 最近ホロホロの更新が遅いという意見を何人かの愛読者から頂いた。参ったか、3日で更新だぜ。 通常ホロホロは仕事が終わってまったりとした2時頃からビールを片手にポロポロやりだすのだが、今月はゼログラビティも珍しくボートや講習で忙しく、家に帰るとバタンキューという状態だったのだ。やっぱりヒロさんも歳には勝てませんね、という声が聞こえてきそうだから言っておく。昨日は夜中から波の音がうるさかった。まだ2月だというのに南のうねりがヒットした。私は朝の6時から息子をたたき起こし波乗りに行ったのだ。海の中は2人だけ。セットは頭、メンツル。気持ちよかったぁ。息子はそのまま小学校へ、私はダイビングの講習。生徒にはかわいそうだが、今日はまったくもって波乗り日和でダイビングの透明度は3mくらいしかなかった。講習を見守っていたライフガードも心配し、エントリー、エキジット気をつけろよと声をかけてくれたが、うねりの数と間隔を読めば、まあ、なんとかなる。生徒がとても上手だったので振り子のように揺れる水中で全てのスキルを終わらせてきた。そして今、机に向かっている。どおだ、どおだ。 常々若い子に言っているのだが、ダイビングも波乗りもウインドも素潜りも全部楽しめば、と。そうすると、おのずと海の実力は上がってくるのだ。私はダイバーだからとか、サーファーだからとかは、やめようぜ。その海況に応じた海の遊びができればそれに越した事はない。 で、今日は何の話をテーマにしたいかというと、そう講習。海の遊びの中でもダイビングほど基準が決まっていて何日もかけて講習して、はい、免許皆伝などというスポーツは少ないと思うが、今月は久しぶりに自分で講習して楽しかったのだ。オアフ時代はパートナーがアメリカ人だったため日本人の講習は全部引き受けていたが、マウイに来てライセンス受講者の数はぐっと減り、たまに入っても若いイントラに任せたりしていたので自分の出る幕はあまりなかった。PADI(ダイビング指導団体)の基準もたくさん変わっていてアップデートめんどうくさーいと思っていたが、はじめてみると自分の言動、行動の一つ一つを生徒は神の声のようにしっかり守り徐々に上達してくるのがわかる。私が腕を組むと生徒も腕を組む。私が上を向くと生徒も上を向く。こりゃぁ、おもしろい。まるで砂が水を吸い込むように技術を吸収していく姿を見ていると下手な教え方は出来ないなと思う。下手にお尻もかけないのだ。3日目の最終日になると水も人間もぐっと戯れ親しんでくるので、教えている方もとても楽しくなる。それが25歳以上のスレンダーな健康美人ならお金まで貰って本当に申し訳なくなってしまう。もちろん逆パターンもあるのだが、ここでは書くまい。 教え方については私が一番などとは口が裂けてもいえないが、海の楽しませ方に関しては悪くないと思う。私が体験ダイビングに連れてったりライセンスを与えたりした人の何人かはインストラクターになって世界中の海で活躍している。その事実はとても嬉しくイントラ冥利に尽きるが、最近はひろさんの孫生徒です、なんて人も現れてきた。どうすべ〜。 |
| 01年1月1日 |
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| 新年明けましておめでとうございます。本当に年をとるたびに1年のたつのは早くなるような気がします。15年程前にオアフ島に住んでいた頃は年末にワイキキに繰り出し馬鹿騒ぎをしていましたが、最近は無性に日本の静かなニューイヤーズイヴが懐かしい。コタツを囲んで紅白を見てゆく年来る年などを見てからバイクで鎌倉の海などに行って焚き火を囲んで初日の出を待っていたあの頃が懐かしい。今考えるとあの寒さの中、元気だったな。 さて正月からボートを出しダイビングに行ってきました。あいにく風とうねりで海は荒れていましたが、なんとか南西の風はモロキニ島でブロックされ、ダイビングには影響がない。しかし5分に1回くらい来るうねりは嫌なもので、落ち着いてダイバーを待つことが出来なかった。しかし、その帰りにはいきなり3頭のクジラが20mくらいの近さで現れ正月からラッキーな場面を見た。クジラはなんとなく海が凪いでるときより荒れているときのほうがよく現れるように感じる。誰かこの説を科学的に証明できる方はいませんかね。 話は変わるが私の家の隣に越してきたオランダ人は30代後半で既にリタイアしているとの事。何でも若い時に日本でしこたま稼いだらしい。全く羨ましい話だが、彼からは私の仕事が楽しく見えるらしい。"You have a Life"と言われた。お互い隣の芝生はよく見えるもので、私があなたの若さでリタイアしたらやりたいことが沢山あるような気がする。なんて、隣の芝生の青さばかり眺めていてもしょうがない。とりあえず今年も1年みんなが健康に過ごせますように。パン、パン。 |
| 01年1月6日 |
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| 久しぶりに休んでいます。妻も子供も出かけているので静かな幸せを噛み締めながら。 1月3日の話をします。あれは2本目のダイビングだったかな。ボートを停める場所を探していると真横に2頭のバンドウイルカが現れ、こっちにおいでよーってな感じで船の周りをくるくるしだした。ボートをつなげる係りのイントラ、ミワコ嬢を水面に残し私とお客さんはイルカに誘われ5分くらいイルカのお腹に触ったりして一緒に戯れた。その後ふくれっつらのミワコ嬢がダイビングを開始すると驚いた事に先程の2頭のバンドウイルカが戻ってきて一緒に遊ぼうよーって感じで水底のナマコを持ち上げたり落としたりしてダイバーの周りをくるくる回りはじめたそうだ。ボート上でいるかを確認した私はキャプテンの責任も忘れお客さんのカメラを奪い船を離れ素潜りで必死にちょっと腹の出たコタニミカコを演じ50センチの距離で激写した。その至福のときは延々と15分も続き、ん〜、びっくり、びっくり、びっくり。しかし今までのイルカとの水中遭遇の中では最長だし、妙にフレンドリーすぎると少し思っていたのだが、なぞが解け始めた。 私が船を出すキヘイの港には一般のボートオーナーも多いのだが、その中の一人で私と同じタイプのカタマラン26フィートを所有するヒッピー嬢がいる。(船中サイケなペイントがしてあって、その船で暮らしているのでそう呼ばれているのだが)彼女が以前、イルカが私の船を知っていてゆっくり走っているだけで、どこからともなく集まってくる。中でもいつも来るバンドウイルカには名前を付けている、と話してくれた。彼女は水中でイルカやクジラの好きな音楽などをかけているそうだ。その時は半信半疑だったが、あれはきっとイルカが水中から私の船を見つけ彼女の船と間違えたに違いない。これからはヒッピー船を見つけたらきっとイルカが見つかるはずだ。チェック、チェック。 最近はクジラのジャンプも頻繁に見れるようになってきました。私も毎回ボートにカメラを持参していきます。そのうちにホットな写真をHP上で公開できたらと願いつつ、ついついクジラに寄りすぎてしまう今日この頃、まずい、まずい。 |
| 01年1月10日 |
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| 16年前の年賀状が届いた。 筑波万博の時に友達がタイムカプセルに入れたやつが横浜の実家を経由して私の手元に昨日届いたのだ。21世紀になったら郵送するという粋な企画で約300万通が届けられたらしい。16年前、私はカリフォルニアに住んでいてこの手紙を書いた友達はテネシーに留学後、人の多い横浜になじめず英語力を生かして筑波万博で働いていたのだ。当時彼が筑波をテネシーみたいだと言っていたのを覚えている。私の記憶はすぐに当時にトリップし今までの経過を懐かしむ。 彼とは中学からの同級生で高校も一緒だった。私たちはアメリカ文化にかなり影響されていて学校が半日の土曜の昼などFENのディッククラークショーを大音量でかけて(車で通学してたのだ)高揚した気分で休みを迎え、遥かなるアメリカの夢を見ていた。アメリカの音楽や映画に触れることは当時の私たちにとって自由を追い求める事だった。今では彼も私も家を持ち子供を持ち当時の身軽さは面影もないが、お互いに信じた道を歩きながら、この地で生活できている事に感謝する。 彼は現在オアフ島にどっしり腰をおろし、幸せな家庭を築いている。ホノルルのダイエーの入り口にハワイ一美味しいコーヒーのブースがある。彼、ワタルの店だ。チャンスがあったら冷やかしてください。 ちなみに16年の時を経過した年賀状には“21世紀もよろしくな“と書いてあった。まるで先月書いたように。 |
| 01年1月15日 |
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| オアフ島から親友がヨットでやってきた。 45フィートの寝室が2つある大きなセイリングボートだ。彼とはオアフ時代に一緒にウインドサーフィンをよくやったが、その延長で小さなヨットを2人で買った事がある。ヨットの知識はまるで無かった私たちだが二人で試行錯誤しながら色々な事を学んでいった。基本的にはウインドサーフィンでセールのセッティング、扱いは分かっていたし、舵とキールががついている分上り性能もぐっとよく、難しくはなかった。激しいウインドサーフィンからビールを飲みながらのセーラーになったときはちょっと大人になった気がした。ホノルルから私の住んでいたカネオヘまで10時間のセーリングをしたときはダイアモンドヘッド沖の高波でヘッド(お手洗い)のパイプがはずれ危うく沈没寸前の目にもあった。あのときの話をすると今でも二人で大笑いしてしまうが、「船を捨てて岸まで泳ぐか」くらいの決断を迫られたその時は、ここでは書けない「死ぬ前の懺悔話」を沢山したものだ。思い出が沢山詰まった23フィートのわれわれの最初のヨットは「Sunset Gang」と名づけられていた。 時が流れ私はオアフを離れマウイ島に住みだしたが、彼はオアフ島にいながらも地上を離れ大きなヨットに住みだした。お互いに家庭を持ち立派な中年不良親父になったが、本質的にはあまり変わっていない。今日は一緒に波乗りをし、昔話をし、夜はイーグルスのビデオなどを見て過ごした。彼はアメリカ人で15年程の付き合いになる。気が合うやつに国籍はあまり関係ないようだ。今週末は彼のヨット“Other Places"でラナイ島に泊りに行く。遊びの企画は山ほどある。 |
| 01年1月22日 |
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| 昨日ラナイ島から帰ってきた。3日間の船上生活で体がまだ揺れている。メンバーはヨットのオーナーのランド、その妻リサ、彼らの犬プッチ、中年キラーMIWAKO、私、カナ、うちの子供(学校???)2匹と犬のジンボだ。 1日目 マウイ島のマアラエア港から約2時間は船尾から風を受けて快調なセーリングが続いたが、その後風がやみ機走する。昼頃、ラナイ島のがけっぷち付近に船を停め、軽く潜り今日の夕飯の魚を捕まえる。その後20頭以上のスピナ―ドルフィンが出現、子供と犬が大いに興奮する。6時間後に無事ラナイ島のマネラ港に到着。水道の前のいいスポットを確保できたが、陸に上がるにはいちいちゴムボートで船尾ロープをたぐりながら矢切の渡し状態で移動しなければならない。去年はこの状態で海に落ちたので今回は慎重だ。港からは素晴らしいキャンプ場とビーチまで歩ける。犬、子供を連れて散歩、その後オピヒという貝を捕っていたら警備員に捕まりナイフを没収されてしまった。IDを見せナイフは返してもらえたが、ラナイでは誰もオピヒは捕らないらしい。(そんな事は信じられないが、おとなしくしていた) 夕飯は捕まえた魚とカレー(すごい組み合わせ)、お気に入りの音楽と酒と友達、これ以上何が必要か。 2日目は早朝ハイキングに行ったが、道を間違えビーチに抜けてしまった。CAPTのランドは僕達を追い20頭の鹿に遭遇したそうだ。羨ましい。昼にはラナイ島の友達ローズが迎えに来て島の案内をしてくれた。ラナイシティは港から車で15分ほどの高台にあり結構寒い。30分も歩くと全て制覇してしまうほど小さく質素だ。ローズは町の住民を全て知っているように皆に挨拶をしている。現在のラナイの問題はホテルなどの開拓と共に他の島から労働者が入ってきてドラッグや犯罪が増えてきている事らしいが、こののんびりした風景を見ていると想像が出来ない。約3000人いる住民の90%はフィリピン人でそのうち25%は子供だそうだ。この島で生まれこの島しか知らず年を取っていく人もいるそうだ。そんな人生もあるのだな。港に戻ると、なんとナイノアトンプソン率いるホクレア号が牽引されてきた。風がなくて港に停泊するそうだ。その夜はマストに架けたハンモックに寝そべり降るような星空を眺めながら寝てしまった。 3日目は女、子供、犬達をビーチに送り、ランドと私はゴムボートで気になっていたポイントを調査に行った。300mくらいの切り立った崖の下に2つの洞窟があり、どうもボートでその中に入れそうなのだ。実際に行ってみると波が割れていたのでボートを諦め、2人で泳いで洞窟の中に入った。2つの洞窟は中で繋がっていて、天井までの高さは10mくらい。不気味な空間だ。さまざまな浮遊物が洞窟の中に打ち上げられていた。その中にロブスタートラップを見つけたが、ちょっと大きすぎたので持って帰るのは諦めた。周辺で素潜りをし獲物を探したが、子持ちのロブスターや小さな魚しかいなかったので何も捕らず。 ヨットに戻り、身支度を整え2時のフェリーでマウイに戻る。ランドたちはその後モロカイ島に行く。雄大な自然のラナイ島の後ではラハイナの町が妙に俗っぽく写る。マウイ島がまるでアメリカ本土のように白人だらけだ。キヘイの家にたどり着くとラジャ(ネコ)がみゃ―みゃ―ないていて、水槽の魚がパクパク口をあけ、子供はさっそくテレビに飛びついた。あ〜、現実の始まりだ。 |
| 01年1月22日 |
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| 最近アドベンチャー物の本によく当たっている。南極大陸を犬ぞリで横断した船津圭三さんの本やアラスカに生活していた動物写真家の星野道夫さんの本などだ。星野さんは残念な事にヒグマに襲われ亡くなったが、彼の写真はとても綺麗だ。想像だがカメラを持っているときに良い被写体に出会うと危険な事など忘れてしまうのだろう。もしくはわかっていて無視しているかだ。私も水中でサメやウツボの写真をとるときなど鼻面まで近づけてしまう。私と彼を比べるのはおこがましいが、何となくそんな気がする。 2人の本で共通するのがすごい事をやっているのに関わらず本人達はまったく肩の力を抜いていて、なるべく正直に書こうと努めている事だ。事実には重みがあり素直な言葉には真実が見える。日本のような人間関係の難しいところに住んでいると、このような人たちは貴重だと思う。 かすみを食って暮らせれば彼らも本など発表する必要がないのかもしれない。しかし、それでは困るのだ。私は彼らの本で浄化されたし、このホロホロ日誌だって「ふむふむ」と思う人も「ケッ」と思う人もいるのだ。どちらにしろ脳に信号は送られた。やらないよりはやったほうがいい。やはり人には伝えなきゃ。本当の冒険家は写真など残さないかもしれないけど、三脚をセットしてセルフフォトをイヤダナー、恥ずかしいなーと思いながら残 |