ホロホロエッセイ2002年
02年12月20日(Fri)
溢れんばかりのハグハグ
12月というのは行事が多く、どの家庭もなんとなくイソガシ、イソガシと言う気分だと思うが、我が家は私と娘と犬の誕生日が重なるのでなおさらだ。クリスマスツリーも飾ったが、子供が大きくなるにつれて本物のツリーからイミテーションツリーになり下がり、今年などはイミテーションツリーも大きすぎて面倒だと、途中の添え木を1本抜いて短めバージョンで飾り付けてしまった。毎年結構気合を入れる家の回りのライティングも、今年は息子が「無くてもいいよ」とのたまったのでお言葉に甘えてやめようかなと思ったが、コテージOHANAの家族に3歳の子供がいるので、気持ちだけだが質素なライティングを少し飾り付けた。

子供が成長するに連れ飾り付けはだんだん質素になっていくが、プレゼントはだんだん派手になってくる。もう人形やオモチャでは誤魔化せない年齢だ。いっちょまえになったもんだ。実はそんな我が家の子供たちを生まれたときから世話してくれている女の子から「結婚します」と報告が入った。男女ともよく知っているので素直に嬉しかった。なんだか清々しいクリスマスプレゼントを頂いた感じだ。末永く仲良くやっていってください。

年末も近いというのに回りでめでたい話が沢山あり、やっぱりイソガシ、イソガシの12月だ。忙しいと言う字は「心を亡くす」と書くのだよ、とKIKU放送のキンパチ先生が言っていたが、気をつけよう。愛を説くイエス様の誕生日のクリスマスには心を亡くさずに「今年はがんばったなぁ、来年もよろしく」と溢れんばかりのハグハグを皆としたいものだ。
02年11月23日(Sat)
ミワコの結婚式
早いものでついにこの日がやってきた。ゼロのスタッフのミワコ嬢の結婚式だ。花嫁サイドから約70人、花婿サイドから約50人の総勢120人近くが出席するのでマウイで行われる結婚式としてはかなり大きい。花嫁はもちろん花婿も過去にダイビング業に関わっていたので出席者も海でよく見る顔が多い。場所はマウイプリンスの南に位置するビーチパークで牧師、メーク、カメラマン、コーディネーター、運転手とも「俺たちがやってやるぜ」、「We can do it」とマウイ在住の友人が請け負った。

その日は絵に書いたような青空が広がり、マウイ島名物の強風も吹かず、全くの結婚式日和だった。ビーチパークにはBBQでくつろぐ家族が何組がいたが、我々がわしわしと集まってくると気持ちよく場所を提供してくれた。
日本から飛んできた花嫁の友人達は全員持参した浴衣で着飾っている。花婿の友人一同はお揃いのアロハシャツでそれを迎え撃つ。不思議なもので青い空と椰子の木の下、アロハシャツと赤、青、黄色の色鮮やかな浴衣はとてもよく似合っていた。もっともアロハシャツのルーツをたどればそれも納得できるというものか。

式のほうはちょっと緊張気味の牧師さんのリードで指輪の交換、夫婦の誓いが無事に終わりミワコ嬢とブラッド君はとても嬉しそうだ。結婚式の後は知合いの店でレセプション。こちらもかなりカジュアルでエアロスミスの前座をやっていたというミュージシャンがアコギ1本でバリバリにロックしている。雲ひとつない水平線に真っ赤な太陽が落っこちグリーンフラッシュを残すころになると益々場は盛り上がり日本の浴衣嬢がそのままの姿でツイストを踊り、新潟軍団が新潟音頭のようなものを踊りだす。外人も飛び入りでなだれ込み大賑わいになった時、ミワコ兄がエアロ前座君のギターを取り上げた。アンプを調節し、オリジナルの歌を嫁に行く妹に捧げた。仁平姿でギターをかき鳴らす玄人裸足の日本語のその歌はとても優しく明るく胸を打った。ミワコ母はのりのりで各テーブルを回り皆に笑顔とシャカサインを振りまいている。いい家族といい仲間。これだけの人数に祝福されての結婚式だ。幸せな家庭を築いて欲しいと思う。

数年前に彼女がインストラクターとしてはじめてマウイの地に下りた時にカフルイ空港まで迎えに行ったのは私だ。一応立場的には彼女のボスに当たる私は仕事の説明もせずにそのまま海に直行し、サーフィンに付き合わせた。今では立派なマウイアンの彼女もその時は相当驚いたようだが、そんなマウイのスタイルが性にあったのだろう。数年後にはしっかりと好きな場所で好きな男性と結ばれた。彼女の生き方を見ていると人生どんな出会いがあるか分からないからとりあえず好きなことをやっていたほうが賢いのかな、と思ったりもします。

実は私の中でその日一番印象に残ったのは結婚式の後で一人で海を見つめるミワコ父の姿でした。カメラマンを仰せつかった私は思わずファインダー越しにその表情を切り取ったが娘を持つ父親として彼の追憶しているものがなんだか分かるような気がしました。
ブラッド君とミワコ嬢の結婚式の写真です。
02年11月20日(Wed)
マウイ式なんちゃって改築法
我が家も築後10年近くたち、そこかしこに手入れが必要になってきた。特にOHANAの浴槽が錆びだしてきてファイバーグラスで応急処置をしたがどうも上手く行かない。そこに今年も登場したのが「てやんでぇー大工」の五十嵐君。去年はしし座流星群が振る頃に「仕事が面白くないから、明日行くから!」と本当に翌日に新潟からマウイまで来てしまったのだ。今年もいきなり来て我々を楽しませてくれたが、れっきとした独立した大工。「風呂桶を変えるから手伝ってくれ」というと「いやぁ、無理だ」と連れない返事。とはいうものの朝のジンボ(犬です)の散歩で建築中の家の風呂場などをよく観察してきてくれる。「あんなもんでいいんかい?」「いい、いい」「こっちの家は簡単にできてるねぇ」「地震も雨もないからね」「分からないけど、やってみるか」「やろ、やろ」と話は進んでいった。
てやんでー大工はここから「棟梁」と私に呼ばれるようになりタイルを砕き壁をぶった切り豪快な仕事をしてくれた。前後左右にぴったりと収まった風呂釜は寸前のところでバスルームから動かない。「しょーがない」と棟梁は鉄で出来た風呂釜を真っ二つに切り、私の口をあんぐりさせた。そこに新しい風呂釜を入れるときがまた苦労したのだが幸いにも新しい風呂釜の方が高さが低い。柱の2x4を少し削ると上手い具合に入ってくれた。ここから下地の板を貼りタイルを貼る。どうせだからと魚の絵のついた飾りタイルを5枚ほど突っ込む。作業中はぐちゃぐちゃだったがタイルを張り目地を入れ、はみ出した目地をきれいにふき取るとまんざらでもないバスルームが出来上がった。私はこの作業で結構高価な道具を買ったのでこれから大工熱にも拍車がかかりそうだ。

棟梁の今回の仕事が認められてマウイ在住の私の友人に「家を建てるから我が家にも来てくれ」と誘われていた。とんでもないと断っていたが日本で何か嫌なことがあると「てやんでぇー」といきなりきちゃう気もするなぁ。そしたら私も手伝うのでみんなの手で家を一件建ててみたいなぁ。
02年11月13日(Wed)
マウイ式すずめ撃退法
夏が過ぎマウイ島も朝晩は大分冷え込むようになりました。といってもTシャツの上にちょこっと何かを羽織るくらいでOKですが、殆ど裸同然の暮らしをしていた夏に比べればやはり涼しい。しかし涼しいこの時期はぐっと体力仕事が楽になるので私も友人からチェーンソウを借り庭仕事などをやっていました。まずは庭のあちこちに生えている態度のでかい気に入らない雑木をウィーンウィーンとなぎ倒し、残った根っ子にドリルで穴を開け毒薬を流し込み息の根を止めた、いや、根の息を止めたというべきか。そして次はうちの犬がくるっくる回り剥ぎ取ってしまった芝生に種をまき裏庭緑化作戦を始めた。3日くらいたつと産毛のような芽がツツーと顔を出し1週間くらいで茶色い地面が徐々に緑になっていくのが分かる。これが楽しくて毎日裏庭を眺めてはにんまりしていたのだが、ここで思わぬ敵の襲来を目撃してしまった。「すずめ」だ。彼らはまだ生えてきていない種を狙ってどこからか大量に舞い降りてきて多い時には30羽以上が集まってしまう。種食いすずめの態度は日増しにでかくなり我々がいても平気で突っつきちょっとやそっとでは飛び去らなくなってきたので何とかしなくては。

鳥の追い払い方は人それぞれで結構面白い。私や妻は「HEY!」などとと大声で叫び壁やガラスをひっぱたくのだが優しいYoshiGは手をパンパンうちながら「こらっ、だめぇ〜」などと言うものだからこっとがガクッとしてしまう。一番効くのは娘が頭のてっぺんからひねり出す「キー」という大声のようで、これには30羽のすずめたちもたちまち飛び散ってしまう。

思うにこの時の斉田家は「ヘイ」とか「こら」とか「キー」とか大声で頻繁にシャウトしていたのでさぞ近所にはいぶかしがられていたことだろう。「恐るべきサムライハウス」と村八分にされても困るので一家の主は「ティガ-式すずめ撃退法」を考え出しました。写真を見れば一目でわかるがティガーの人形を裏庭に出し尻尾にはビールの缶をくくりつけ紐で家の中から動かせるようにした。すずめが集まると子供たちが目を輝かせて「それっ」と紐を引っ張る。すると中空に吊り下げられたティガ-の人形がカランコロン鳴りながら踊りだすのでこれは効果覿面だ。

今では子供たちはティガーを躍らせるのに飽きたので、私が足の親指に紐を巻きつけながら新聞を読んでいる。
02年10月27日(Sun)
Nissan Exterra World Championship
今年もマウイ島でエクステラの最終戦が行われた。エクステラというのはトライアスロンをワイルドにしたようなレースで世界中で選ばれた400人のプロとトップアマチュアアスリートが競い合うレースだ。最初はグランドワイレア前の海を1.5キロ泳ぎ、そのあとすたこらさっさと30キロの未舗装の道をマウンテンバイクですっ飛ばし、最後にビッグビーチからアストンワイレアまで海辺や林や岩場の上を約11キロ走るという汗だらけ血だらけの過酷なレースだ。

去年に続き私と友人カメラマンはプレスパスをもらい日本のトッププロ湯本優選手の撮影をした。優とはまだ1年ちょっとの付き合いだが、マウイに来る度に我が家に泊まり犬の散歩に行き庭仕事を手伝い、もうすっかりファミリーの一員になっている。ためらいの無い我が家の冷蔵庫の開け方はそれは見事だ。

疾走する湯本優選手を追いかけるいんちきビデオマンはこの後こけた。
レース撮影のほうはスイムを撮ったあと、すぐに世界中のメディアが集まるプレスバンに乗り込みトッププロを追う。ここで優が出遅れるとバンは次の地点に向かってしまうのだが、最初の撮影場所ではトップから15番目くらいでハートブレイクヒルと呼ばれる未舗装の急坂を一気に駆け上がっていった。次の撮影場所はトップから5人くらいしか待てないので我々はバンに載るべきかかなり迷ったが、あの調子ではもしかしてもしかするかもしれないと、そのままプレスバンに居残った。撮影場所につくとバンの運転手からホーンを3つ鳴らしたら3分で戻ってこい、と指示が出る。トップから5人ほど抜けていったところでバンのホーンが鳴る。優の姿は見えない。私は無線で「ナンバー14がなんとか、」というのを聞きかじった。優のナンバーだ。去年レース中に乳母車との衝突を避けようと自分から木に突っ込み大怪我で救急車に運ばれた話を思い出し心配したが確かめる時間はない。ホーンが鳴らされバンは次の場所に走り出す。

私道のハレアカラ山腹から公道に出ると、我々はプレスバンから離れビッグビーチで優の来るのをひたすら待つ。トップから30人ほど遅れて優の姿が見えた。その後はZGスタッフMIWAKO嬢の運転するトラックの後ろに乗り込み、応援しながらの撮影を敢行した。私と木下カメラマンの応援はいつもながら下品な日本語で選手を煽るが、それにつられMIWAKO嬢と上品な日本から来た応援嬢も大声で「優君、頑張れ〜」と気合を入れてくる。MIWAKOはキックボクサーの娘なので血はすぐに熱くなるのだろう。

嬉しいのは優と並走してゆっくり走るトラックを後続車は1台も文句も言わずスムーズに抜いてくれ、道路の各地点にいるおまわりさんとボランティアのスタッフも「ここからよく撮影できるぞ」とか「ゴールは近いぞ」とか好意的に協力してくれることだ。この辺がスポーツに理解があるアメリカの良い所だ。

我が家の庭仕事を手伝う優選手。
優の結果は2時間53分11秒で去年の記録を若干縮め参加している日本人の中ではダントツの1位だが、大会のレベルが上がっている様で400人中34位と順位は去年より落ちた。レース後立ち上がることもできないほど疲れている優にバイクランのときに何があったか聞きに行くとチェーンが壊れ修理に5分ほどかかかり、その後もだましだまし自転車を走らせなければならなかったと残念そうな顔をした。まあ、しかしアクシデント続出のレースなのでそれも仕方が無い。実力がありアクシデントの無いように走る選手が勝利を手にするのだ。

何はともあれ今年1年鍛えてきた優のレースは終わりこれから彼は4ヶ月ほどオフモードに突入だ。絞りに絞った体と顔が1日8食の食事でどんどん丸くなっていくのを我々はニヤニヤしながら見守ることにしよう。

最後にこの場を借りレースに協力してくれたマウイ在住の友人とこのHPを通して応援してくれた全ての人達に感謝します。
02年10月09日(Wed)
ハワイアンウエディング
10年程前から海外での結婚式が流行りだし、その中でもハワイアンウエディングは夢見る女性の一番人気らしい。まあ考えてみれば日本の演出だらけの結婚式より南国の青空とそよ風の下の結婚式の方がはるかに気持ちよいし、二人だけでネイバーアイランドに抜け出せば新婚旅行気分も味わえてしまうので賢い選択だと思う。

かく言う私も今から14年前、当時22歳の夢見る花嫁の希望でカウアイ島のあるホテルで結婚式をした。当時は今で言うコーディネート会社などと言うものが無かった、もしくはあったとしても知らなかったのでホテルに直接問い合わせるとウエディングパッケージなるものがあるという。ホテル側の説明では前回結婚式を挙げた日本人はイツキヒロユキだそうだが、同じヒロユキでもえらい違いだ。

結婚式は夢見る花嫁に全面的に任せる、という気持ちの新郎は(私ですね)式当日まで詳細は気にしていなかったのだが、ホテルのコーディネーターと打ち合わせをすると段々憂鬱な気分になってきた。なんだか式からレセプションまで結構忙しく、親類や友人とまったりする時間が無いのだ。日ごろルールやスケジュールは少ないほど健康だ、と思っているので、その虫の這い出る隙間も無いくらいに埋まっているスケジュールを見ると不安になる。でも、まあ、しかし、晴れの舞台、ほんの数時間だけ我慢しましょうと本番を迎えた。

本番のその日はなんと白馬につながった馬車が、ホテルロビーまでやってきた。そこから人口ラグーンの上に立つ教会まで10分ほどパッカパカと馬鹿丸出しで行くのだ。おまけに衣装は真っ白なタキシードとピンクの腹巻(なんて呼ぶのだろう?)だ。こりゃーもー相当恥ずかしく、「こら、馬、もっと速く走らんかい」と思ったものだ。余談だがその格好でホテルをぶらついていたときは何度もアメリカ人に「プールはどこだ?」とか「レストランはどこだ?」と聞かれたものだ。よっぽどローカルのホテルマンに見えたのだろうが、わたしゃ晴れ舞台当日の新郎だぜ。もひとつ余談だが、私がホテルをぶらついている時にアメリカ人にメイクアップをされていた新婦は、髪の毛をクルクルとサザエさんのように巻かれ、目の周りを真っ青に塗られ「こんなんじゃいやだぁ」と泣きじゃくっていました。あまりにも派手顔にされたので舞台女優の母親が娘のメークアップを全て落とし化粧をし直した事もいい思い出(?)です。

さてアホズラ下げて馬車から降りた私達が参列者を見渡すと、日本から来た真っ白な新婦の友人と親族、オアフ島の裏側から来た真っ黒な私の友人たちがオセロの駒ように並んでいた。それに混じって見たこともない日本人観光客おばさんが6人ほどいる。彼女らは旅行会社をやっている知り合いのお客さんでハワイの結婚式が見たいとの事なので、そこはアロハな心で「どうぞ」といったものだが、このおばさんたち人数分しかない飲み物や食べ物を一番先につまみ始め、友人たちのために投げたブーケをかっさらい、一同唖然としたものでした。今でも結婚式の集合写真を見ると全員同じように斜め立ちした見知らぬおばさまたちが最前列で嬉しそうに微笑んでいる。

式のほうはモルモン教の大学生のような風貌の若い牧師が「ビンボーな時もカネモチな時も、ビョウキな時もケンコーな時も」などと一同ひっくり返るような日本語で進めてくれ、誓いの言葉を述べケーキファイトをし、無事に終わった。その後私たちはカメラマンの撮影に延々1時間ほど連れまわされましたが、一緒に来た友人や親族が我々の写真をとるのを「だめだ」といったカメラマンとちょっとした口論してしまった。

でもまあなんとか結婚式は終わり、はっぴいえんどだったはずだが、事件はそこから起きた。
オアフ島に帰り牧師からもらった結婚証明書を裁判所に持っていくと、「これは結婚証明書ではなくただのお土産だ。ハワイ州に認可された牧師でもないし、もう一度結婚式をやらなければ認められない。お前たちは一体どこのホテルで結婚式をしたんだ。私がホテルに電話してやる!」と驚くようなことを裁判所の人に言われた。きっとホテル側は日本語のリクエストが多いので片言の日本語をしゃべれる青年を牧師に仕立て上げ、ニセの結婚証明書を日本人のお土産として作り上げたのだろう。しかし私はハワイに住んでいるので、本物の結婚証明書が必要なのだ。

「ぬははは、相手が悪かったな、私は日本に住むイツキヒロシじゃなくハワイに住むサイタヒロユキだぜ。」頭に来た私はアメリカ人の友人と一緒にホテルマネージャーとコーディネーター宛てに弁護士の使うような文章で手紙を書いた。数週間後に詫び状と一緒に半額のチェックが返金されてきた。今思うと詫びの電話も無しによく納得したなと思うが、若かった私は数百ドルの小切手でころっと丸め込まれたのだ。

そうやって7月4日の独立記念日のカウアイ島結婚式はけちがつき、後の8月14日にホノルルの裁判所に行き、我々はビーサンとTシャツで二人だけの質素な結婚式をやった。確か牧師さんに払った費用は20ドルくらいだったと思うが、それが我々の本当の結婚式だ。
02年09月23日(Mon)
たかが体験、されど体験
初めての体験というのはよく覚えているものだ。初めてウインドサーフィンをやって流されてジェットスキーに救助されたこと。初めて波乗りをやってスープで持っていかれ偶然波に乗れてしまったこと、初めてウエークボードをやって全然立てなかったこと、初めてスノーボードをやって子供のように雪まみれになったこと、初めて女性と…これは忘れた。

いろんな初めてがあるが、今日は私がはじめてスクーバダイビングをした時の話を書いてみよう。もう20年近く前になると思うが当時カリフォルニアに住んでいた私はオアフ島とマウイ島に遊びに来た。白人だらけの場所から来た私にとって日本語がよく通じお土産やさんの多いワイキキはもう伊豆か熱海感覚で妙にリラックスしてしまい、出会う人のやさしさや、自然の美しさ諸々がドライなカリフォルニアから来た私に訴え、私の中にあったハワイ=農協ツアーのイメージを180度くつがえした。まあ、その時に「もうそのうちこの島に絶対住んでやんかんな」と思ったわけなんですが。

そしてその時に経験したのが体験ダイビングだったのですね。申し込んだ当日は海が怖いとかいうことではなく、あの圧縮タンクが爆発したらどうしよう、などと普通の人とは違うところで恐れていたのを思い出します。当日迎えにきてくれたオアフ島某ダイブショップのインストラクターは私よりはるかに若い青年で連れて行かれたのはアラモアナパークの先端にある壁に遮られた小さな湾。公園の駐車場に車を止め重い器材を延々担ぎ、水深3mくらいの場所でその青年インストラクターにずっと手をつながれながら潜った事を思い出す。今思えば透明度が1mもなく魚も2〜3匹見たか見ないかだったような気がするが20年近くたった今になっても覚えているから恐ろしいことだ。もっとも一番鮮明に覚えているのは「この青年インストラクターはいつになったら私の手を離してくれるのだろう?
ということだが。

時が流れハワイにはまった私は当時自分でやっていたカリフォルニアの仕事を全て知り合いに任せ単身ハワイに移り住みアメリカ人ダイブショップの通訳という仕事をしながらダイビングインストラクターになった。そしてお客さんを海に連れて行くようになるとダイビングのイントラが結構もてる事実に気付いてしまった。当時オアフ島の裏側に住んでいた私は人恋しくなるとWAIKIKIに繰り出し結構遊んだりしましたがそっちの方の記憶はもったいないことに殆どなくなってるのが不思議だ。
それに比べ初めてのダイビングの時の天候、器材の準備風景、愛想のなかったイントラ、水中で呼吸できることの楽さ、もろもろのことを覚えている。そんなことを考えながらこれを書いていると体験ダイバーこそ油断ができないなぁと思ってしまいます。きっと彼らは私のお腹の出具合やボートの中で流れていた曲、出されたおやつの種類まで何十年も覚えていることだろう。

ふと遊びに行った沖縄のインストラクターが「HIROさんですよねぇ、10年程前に体験ダイビングに連れて行ってもらいました!」などという出会いが今でも時々ある。そんな時は「あの時のダイビングがきっかけになったのだな」と、嬉しくなります。ちなみにマウイ島の某ダイブショップでインストラクターとして活躍しているRも10代の頃私が体験ダイブに連れて行った一人で、そんな彼女がすでに30過ぎになっているとは本当に時の流れを否応なく感じてしまいますぜ。
02年09月04日(Wed)
環境と音楽
はは、わざと天下のイヌエチケイのようなタイトルにしてみましたぜ。
さてさて私がこのHPで音楽の話をするのは初めてでございますが、かなりお酒が入っているとご想像ください。掲示板にもちょろっと書き込みましたが、今日はダイビング終了後、海がまるで湖のようにマッタイラだったので久しぶりにYoshiGに運転してもらいウエークボードで遊んだのですが、変な風に体を捻じ曲げてしまい腰を痛めてしまいました。体の自由が利かないと午前中仕事→昼寝→夕方から波乗りといういつものパターンが崩れてしまいます。ん〜、今日は何すんかなぁ〜と考えていると居候君がカフルイに買い物に行くというので私も付き合いボーダーズで落としてもらいました。
ボーダーズに行きたかったのはどういうわけか最近私の頭の中でかなりの確立で鳴り響いているNeil YoungのHeart of Goldを買いたかった為で芝生を刈っているときも車の修理をしているときもボートをいじっているときも♪I want to live, I want to give♪というニールヤングの鼻にかかった声が聞こえてきてたんですよね。

聴きたい音楽と環境というのは密接な関係があるようで私が日本に住んでいた頃は洋楽を聞きまくり、カーラジオはFENが定番で土曜の昼などは学校が終わった帰り道、逗子から横浜に帰る途中で聞こえ出すディッククラークショーなどにまだ見ぬアメリカの香りと明日は日曜日〜が重なっていつも友人たちと小躍りしていたものでした。(そそ、ぼろぼろのイスズのベレットや三菱のFTOなどで通ってたよなぁ。)そして高校生のころからはっぴいえんどなどを筆頭にかなりいけてる日本のバンドが出現しはじめせっせと彼らのLPなども集めだしたものでした。
私が日本に住んでいたらもっと洋楽を聴いているような気がするのですが、アメリカに住んで20年も経つと周りから勝手に入ってくる洋楽より当時聴いていた日本の音楽が妙に懐かしくなりここマウイでも周りのブーイングの嵐に負けずこの島で数人しか知らないであろうというマイナーな音楽を聴いております。しかしやはり環境の力に勝つ音楽は数少なく波乗り帰りのすがすがしい海辺のドライブに新宿の午前3時を想像させる「カルメンマキとOZ」などをかけると即座にEJECTされてしまいますので用心はしていますが。

なんだか言いたいことがありすぎてまとまりませんが、何を言いたいかというと私がボートで変な音楽をかけても勘弁してくださいね、ということではなく、マウイ島の青い空と青い海をイメージしすがすがしく1日を過ごしたいお客様にはやはり遠藤賢治や高田渡ではなくIZやKealii, Hapa, Sistah Robbiなどハワイ文部省推薦のハワイアンなどをかけてあげなければいけないな、と思うんです。環境に勝てる音楽は少ないけど環境に合わせられる音楽は沢山あるもんね。

ちなみに海が大荒れのときの最近の私のお気に入りはクラプトンとBBキングのCDを大音量で流していますがどなたかそれに乗り合わせた方、記憶に残っていませんか?
02年08月20日(Tue)
ニューサーフファミリー誕生!
Slowly but Surelyという感じでお客様の数が増えてきたこの夏は1日に2回船を出したりしていました。さすがのゼロのイントラ達も1日に4本潜らせるのは酷なので2本づつに分けましたが、キャプテンの私は朝の6時から2時まで8時間海の上で揺られている生活が続き、家に帰ってくるとフラフラになっています。しかし夏休みのこの時期は家族同然に付き合っているファミリーも何組か見えていますので、普段飲まないビタミン剤などを何種類か飲みつつお付き合いさせていただいています。

このマウイ島で自分の理想のダイビングを追求したく、アロハカイを購入し自らがキャプテンとなりガイドは私の認めるYoshiGとMIWAKOに任せ2年近く経った。旅行会社とは殆ど契約をしていないので苦しい日々が続き友人に弱音を吐いたりしたこともあったが、その中の一人に「自分の信念を貫き一つの事を継続していけばそのうちに認められる」と励まされた言葉が身にしみた。手前味噌だがゼロの6人限定のダイビングやシュノーケルツアーは絶対に楽しいと思う。そしてようやくここに来て徐々にそのことが認められてきた気がするのは嬉しいことだ。営業らしい営業もせず旅行会社とも契約せずHPやリピーター、口コミだけで何とかビジネスとして成り立ってきたのはひとえにゼロを支援してくださっている方たちのおかげだと感謝しております。我々ゼロのスタッフにできることは皆様が来たときに海遊びを提供する場を作っているだけですが、何かがそこから生まれてくると自分のことのように嬉しかったりします。

今年は去年からサーフィンにはまっている高校生のジュリちゃんのご両親が「娘をここまで熱くさせるサーフィンとは何ぞや?」と初めて波乗りにトライした。会社も地位もかなぐり捨てて40半ば(失礼!)の男女が波と戯れて娘を理解してみようという気持ちは素晴らしい。自然相手のスポーツなのでハンデも何もない。我が家もそうだが子供たちの方があっという間に上達するので親は「ざけんじゃねぇ〜」と普段見せない必死な顔で体がぼろぼろになるまで頑張ってしまう。海の中では年齢も性別も関係ない。そこで一番上手に波を捕まえられる人がエライのだ。これだけスパッとはっきりしていると気持ちがいい。そしてジュリパパ、ママ達の感想は「むずかしぃ〜」とのことだったが、何回か波に乗りその感覚を味わったご両親はピッカピカの笑顔で早速ニューボードを買いに行った。背後からなかなかボードを買ってもらえなかった娘の「ずる〜い!」と言う叫び声がしていたが当然親は聞こえないふりをしていた。陸では子供より大人の方がえらいのだ。ははは。
02年07月15日(Mon)
Japan
実はいきなり時間が取れたので日本に行って来た。2年ぶりに見る上空からの日本の景色は相変わらずのねずみ色で同じ飛行機に乗るならどこか別な所に行きたいなぁと毎度の事ながら思ってしまう。
息子も同じ日にマウイから日本に到着するのだが、どういうわけか飛行機は別。私は足置きがガッチャーンとでて、左から小さな専用モニターが出るエライ人風のシートを裏技を使って9割方ぶんどるのだ。息子とはカフルイ空港のつもりで「んじゃあ、出口で」と軽く別れたが、成田空港に着くとどうにも彼らの姿がない。するといきなり「サイタヒロユキサ〜ン」と呼び出しがかかってしまった。不覚にも到着ウイングが彼らとは違っていたらしい。
成田から横浜まで友人のキャンピングカーから車外を眺めていると大型トラックの多さに工業国日本に帰ってきたと実感する。12歳の息子はサービスエリアにある自動販売機の種類の多さに感嘆し駆け寄っていった。全く田舎ものめと思いつつ、私は冷静に缶コーヒーを買ったつもりだがやはり種類の多さに内心ドギマギしてしまった。

日本での前半はいままでほったらかしにしてあった歯や身体のチェックとメインテナンスをしてもらった。アメリカの医者も悪くは無いのだが、保険に入っていてもふざけるなというような金額を請求するので、最近はもっぱら日本の医療のお世話になっている。まあその結果はここではおいとこうとしたが、ろくすっぽ歯を磨かない息子より私のほうが3倍以上も虫歯があるなんてどうも解せないのでやっぱり書いとこ。夜はもちろんコンビニで買い占めたお菓子を横にワールドカップを観戦していました。

中半は自宅以上にくつろげる友人の家2件をベースに夜な夜な色んな人にあっていたが、銀座や六本木の夜の世界に短パンTシャツの私は妙に浮いていた事だろう。一度など連れて行かれるままに入った店がどうもちょっと変わった女性ばかりなので、「こ、これってオカマか?」と横にいた友人に静かに聞くと、大きくこくり。彼ら(?)のお○ん○んの隠し方など別に興味は無かったのだが、一応聞いてみたら「ミッキーマウスにするのよぉ」とよく解らないような答えを明るく教えてくれた。
六本木では「HIROさんの好きなものを食べに行きましょう」と誘ってくれた友人がいたので「カニとしゃぶしゃぶ」と答えたら見事にその二つを兼ね備えているお店に連れて行ったくれた。たいしたものだ。実はその店でついでにクジラも食べたのだがこれはマウイの白人達にはちとイエネー。


人の群れ、スペースの無さに徐々に疲れてきた私と息子は友人に無理矢理頼み河口湖にウエークボードに連れていってもらった。いつもマウイの荒れた海でやっていたので一度是非湖のまったいらな水の上を滑走してみたいと夢に描いていたのだ。河口湖で一番大きなお土産屋を営むかっこいい若社長と河口湖ローカルの青年たちを紹介され本当に身体がバキバキになるまで遊んだ。しかし若社長はウエークは上手いしマスクは甘いしとても優しい。この日以来私は彼の事を「河口湖の若大将」と呼んでいる。しかし河口湖ローカルのウエークレベルはたいしたもので平気で3mくらい跳んでフェイキーで降りてきたり縦回転にチャレンジしたりしていましたぜ。彼らが技をかけるたびに息子は口をあけて「ホォ〜」などと驚いていた。

実は河口湖で遊んでいる時も湘南に台風の波が入っていることを波情報で知っていた。遠回りながらも是非湘南の友達に会いに行かねばならんと友人の運転手を口説き落とし箱根を抜けて懐かしい西湘バイパスを飛ばし8時過ぎに鵠沼に着いた。お気に入りのデニーズ(既に3度目)をみつけ、そこに湘南ボーイズ&ガールズを呼び出したが彼らは一様になんとなくダラーンとしたカッコをしていて好ましかった。ここから息子はプロサーファーの細川哲夫氏が面倒見てくれることになっている。ついでにオーシャンアスリートのアラキタクジも呼び出すと「HIROさん、ひさしぶりっす。元気ですか」と丸太のような腕を突き出す。「今日は何やってたの?」と聞くと「鵠沼から長者ガ先までパドリングしてきて、遭難しそうになりました。」とニコニコしながら答える。何でもビーチ近くは波が高くて結構沖をこいでいたら霧で前が見えなくなり漁師のおっちゃんに助けられたそうだ。相変わらず恐ろしい奴。「パドルレース哲夫さんもやりましょうよ」というタクジに「い、いやぁ、ぼくは。。。」などと言ってる2人がおかしかった。

次の日はみんなで鎌倉で波乗り、そのまま息子は哲夫氏と一緒に千葉に波乗り、私は横浜の実家に帰り一人でのんびり過ごし夜は横浜のハワイアンバーに顔を出した。

後半はこのHPを通して知り合った方や昔からのダイバー、サーファー仲間とBBQをしたり横浜ハワイフェスティバルに行ったりした。
横浜ハワイフェスティバルはすっかり様変わりした大桟橋が会場で人の多さにビックリすると同時にハワイが好きな人はこんなにいるんだなぁと今更ながら驚いた。ハワイに住む私は物には興味はなかったが、ロミロミマッサージ1000円という看板に釣られてウエイクボードと波乗りでボロボロになった身体を人込みの中でマッサージしてもらった。会場のステージでは日本の何とかという人のリラックスしたウクレレ音楽がいい感じだったが、できれば野外でビールでも飲みながら聞きたかったなぁ。

お呼ばれBBQはいつも楽しいもので私と友人が到着すると着々と準備はすすんでいた。結構その準備が大変なのは身を持って知っているので本当に感謝だ。その日は梅雨時にしては珍しくからっと晴れ渡り我々は満腹になった後で前の芝生でフットボールをし、近くの海にビッグシティのビルディングの間に落ちる真っ赤な夕焼けを見た。その後は体育館で卓球やバドミントン、バスケットボールなどをしてくたくたになり解散。私と息子は友人MとCの住むお台場の国際交流村にそのまま泊まり、翌朝うまーい菓子パンを食べ横浜に送ってもらった。

最終日はカメラ機材を新宿に買いに行きそのまま空港まで送ってもらい成田を飛び立った。マウイの空港に到着するといきなり旅行会社の友人に会い、荷物置き場に行くとウインド関係の友人に会い、荷物を待っているとハワイアン航空に働く友人が便宜を図ってくれ、スムースに事が運んだ。知り合いの多い田舎の小さな空港に帰って来た私は、荷物を持って道路の隅に座り、迎えを待つ。青空の下、軽いそよ風の中でタバコを一服していると身体の隅々のネジが緩んでくるのを自覚する。

久しぶりに再会した妻はマウイの波の状況を説明してくれ娘は何となく照れモードながらモジモジと土産はなんだとたずねてくる。何も変わった事がないことに安心し、家に着くとやけに伸びた芝生と犬とネコが出迎えてくれた。

本当に短くて忙しい2週間だったがこのトリップを楽しいものにしてくれた多くの友人に感謝します。引き続き息子は日本に残っているが、彼の一生の財産になる思い出を沢山作ってくる事だろう。

 Many Mahalo to Yuki from Maui Breeze, Kenji & Momochan from Press Plus, Okakun & Chie from Gokinjyo, Daichan, Yuki, Mitch & Char, Satotaro, Kouchan, Mika &Tomo, Marippe, Tetsu, Takuji,, Kyoujyu & Hiro, Lake Kawaguchi Local, Kikuchan & Kirichan, Kana Mama, Saita Fam & All the people who came to meet us.

そうだ、最後に今回日本からもって帰ってきた物を書いてみよう。
お肌の垢落とし、整髪ジェル、顔に塗るクリーム、車のガラス吹き、グリコアーモンドチョコレート、福山雅治(選曲が興味深かった)とマリア(朝風呂に入ってた時にFM横浜から流れてきて気に入った)という人のCD,野田知祐、中島らも、星野道夫、山田詠美の文庫本、教授の手作りコンピューター、一眼レフカメラの水中ハウジング、佐久間ドロップ、子供のおもちゃ(すでに忘れた)。ちゃんちゃん。
02年07月28日(Mon)
モロカイ〜オアフ パドルボードlレース
モロカイ島からオアフ島までの水路約50キロを腕の力だけで渡りきるというまだ日本人にはあまりなじみのない過酷なレースに挑みつづけている唯一の日本人青年がいる。このhPでも何回か紹介しているが、彼の名はアラキタクジ。レースはモロカイ〜オアフ パドルボードlレースという。簡単に50キロというが、多分東京から三浦半島の先っぽくらいまではあるのではないだろうか。その距離を腕の力だけで漕ぎつづけるレースだ。ハワイアンの機内誌には世界で一番過酷なレースと紹介されていた。去年はハナウマ湾の沖で逆の潮流に行く手を阻まれ、8時間のタイムリミットを30分オーバーし、失格という痛い目にあっている。今回は言ってみれば雪辱戦だ。私は彼にビデオ撮影を頼まれ常に横を並走するエスコートボートに乗り込んだ。レース前のインタビューではやはり「去年の惨敗が走馬灯のようによみがえるが、この1年間は世界中の誰よりも一番練習したのでトップ10には入りたい」と、曇り空に遮られて見えないオアフ島の方角をずっと見つめながら語ってくれた。

レースが始まると選手たちは右と左に面白いように分かれ、われわれはその中間のコースを進んだ。このコース取りがレース結果に大きく響くのだが、目に見えない潮流が相手なのでとても難しい。われわれのエスコート艇のキャプテンは経験豊富なハワイアンで、あと何マイルで南に下らせろとかココヘッドを目指せとかの指示を的確に与えている。彼らの指示が絶対とはいえないかもしれないが、そこに疑問が挟まると精神的に参ってしまう。レースに勝つには絶対的に彼らを信じて疑わないことが大切だ。

今年の海況は後ろから押してくれる風も、長く乗れる波もなく選手たちにとっては例年以上に過酷なものとなり、タクジも中盤あたりから疲れが見えてきた。疲れて止まりそうになる腕と薄らいでいく意識を振り払うように時々頭を振り気合を入れなおす。頭がしゃきっとしているときは私たちの声援にもいちいち「ハイッ」と答え頑張りを見せる。中盤を終えたときにはわれわれの周りには他の選手は見えず少し前に大会を運営するマーシャル艇の旗が見えるだけになった。マーシャル艇やプレス艇は大体トップグループについている。「タクジ、かなりいいぞ、絶対にトップグループにいるからそのままペースを落とすな」「ハイッ」我々とタクジは仕事も金も世間も女も忘れひとつの目標に向かって一緒になって進んでいる。時代錯誤的な言い回ししか出来ないがこの「燃えるような感動」があるから、いつも付き合ってしまうのだ。
「ヒロさん、ダックテープありますか?」とタクジが叫ぶ。船内にあったダックテープを探し私が海に飛び込み彼に手渡しすると、いきなり左手の4本の指をテープで巻きつけた。どうも指が腱鞘炎を起こしたらしい。テープで手をぐるぐる巻きにしながらも腕を休めずはるか彼方に見えるオアフ島を目指しひたすら漕ぎつづける彼の姿はかなりかっこいい。こんな姿を女性が見たらころっと参ってしまうと思うが、残念ながら船の中は塩にまみれたおじさんが5人乗っているだけだ。我々は力の限り応援し精神的につらい単調なレースに発破をかけ続けた。

レース後6時間に近づくと船の無線を通してだれだれがゴールしたと連絡が入る。どうやらずっと北のコース(右)を通ってきたオーストラリアの選手たちが波を上手く捕まえ続々とゴールしているらしい。もちろんそんなことはタクジに教えず、ゴール近くになり目の前に集まりだした選手一人一人を確実に捕まえ抜くように指示を出す。ポートロックを抜けハワイカイのゴール手前はサーフポイントになっていてタクジもそこでよい波をつかみデッドヒートを繰り返していた周りの艇を一気に引き離す。撮影のため一足先にゴールに向かい彼を待っているとはるか彼方から何万回目のパドルを繰り返す彼の姿が見えまもなくゴールした。モロカイ、オアフ海峡を渡りきった彼の結果は7時間02分で総合9位。見事なトップ10入りだ。ちなみに1位から4位まではずっと北のコース取りをしたオーストラリア勢が占めた。

ゴール地点で待っていた多くの友人にハグや挨拶をした後に私のところに来た彼は満面の笑みで右手を差し出す。我々はガッチリとハワイ流の握手をする。余分な言葉は必要ない。「毎回レース中はこんなつらいレースは今回で止めようと思うんですけど、ゴールした瞬間から来年のことを考えてしまうんですよね」と語った彼の顔には大きな満足感がポッカリと浮かんでいた。
02年06月25日(Tue)
Hula in the Nature
さすが6月というべきか、今月は友人の結婚式が続いた。毎日波にしか興味のなさそうな人でもしっかり相手を見つけてめでたくゴールするのだからたいしたものだ。ハワイに住んでいて楽なのは結婚式といえども午前中は海で遊んで、もとい仕事をしてそのままアロハシャツでも引っ掛けて出席すればOKなので、そこに「めんどくせー」という感じはない。まして結婚する相手がこっちに住んでいるサーファー同士だったりするとはっきりいって裸足にTシャツでも誰もとがめないだろう。今回も友人TとAの結婚式などはまさにそんな感じでよく海で会うローカルサーファーも沢山集まっていた。逆にいつも裸の人がちゃんとした服など着てきてしまうと皆に「あんた誰だっけ?」という感じでなかなか認知されないので可笑しい。

一番左の写真はマウイで今回結婚式を挙げたPさんYさんカップルのレセプションに飛び入りでフラを披露してくれたMちゃんです。立派な舞台も衣装もありませんが、バックの夕焼けとそよ風の中でゆったりと伸びる手足が自然によく調和していて本当にきれいでした。フラに特別な思い入れが無い私はメリーモナークなどを観戦するのは苦手だが、こんな所でこんな風に踊ってくれるフラは大好きです。
02年06月12日(Wed)
HIRO@ほろほろ酔い

只今気持ちいい酔いの中でピコピコ打っています。今日はネットを通じて仲良くなったまこっちゃんファミリー最終日で私はナイトダイビングのあとに海パン姿で夜の9時ころ最後の挨拶に行ったのですが、仲のよい家族を見ると全くお酒も美味しいもので、ついつい飲みすぎてしまいました。
まこっちゃんと呼んでいるものの実ははるかに人生の先輩で、そんな年上の人がとてもオープンマインドの持ち主であると素直に嬉しくなってしまいます。今回はダイビングのライセンスを持っているまこっちゃんが率先して奥様(彼女がまたイカシテル)と娘さん2人をダイビングにはめてなんと体験ダイビング4本もやっていただきました。最終日はボートダイビングだったのですが、前日にまこっちゃんから頼みがあると言われていました。

「ハワイが大好きだったおふくろの骨をハワイの海に流したいんだよね、いいですか?」もちろん断る理由はありませんので、当日はほかのお客さんに断りを入れてもモロキニ島とカホラベ島の間に娘さんたちの摘んできた花びらと一緒にまこっちゃんのお母様の尊い骨を流してきました。普通、散骨と言うのはしんみりとおこなうものかもしれませんが、「うちのお袋はハワイに来た夢を見て息を引きとった」と聞いていたので、IZの音楽をバックにハワイの海に流れる花びらと灰を見ながらなんだか無性に嬉しくなってしまいました。私がパチパチと拍手をすると、船内にいたみんなの拍手が重なり、なんだかとってもいい感じでしたぜ。

さて、もう寝ます。まこっちゃんファミリー、また遊びにきてくださいね。

02年06月8日(Sat)
こうき心

さて最近はどんな感じで過ごしているかというと、ぼちぼちと海の仕事をしながら夜中のワールドカップを見て、身体のリズムを崩しながらもイベントが続き一昨日は静岡放送の方達とBBQ、昨日はネットの友人に誘われお呼ばれBBQ、今日はキヘイ地区日本人がぞろぞろ我が家に集まり夜中のワールドカップ観戦、マウイ島から日本選手にエールを送った。そして明日は妻の可奈(こちらでは妻の事を自分のBetter Half,つまり自分の良いほうの半分という言い方をしますが、全くもってお世話になっています)の誕生日と仕事はそんなに忙しくないはずなのに、結構毎日忙しく動きまわっています。

いつも人が絶えない我が家の生活を見て、「プライベートな時間を持ったほうがいいよ」と回りの人が心配してくれますが、慣れてしまえばなかなか楽しいもので、最近では何日も誰もこないとすぐに寂しくなってしまう「斉田家さみしんぼ気質」が出来上がってしまったような気がします。これは我が家の子供も犬も猫も同じようなもので、誰かの足音が近づくと犬はバウバウ、ネコはミャウミャウ、ゲッコはキーキー、子供はソワソワとうるさい、うるさい。

小さなキヘイの町で幼稚園、小学校、中学を過ごしている息子は町のどこに行っても仲間に出会う、全くのKIHEI KIDSなのだが、今回は初めて独りで日本に出してみます。大人になってもハワイから離れたくないと、ここの居心地のよさにどっぷり使っている彼が日本で何を見、何を感じるか楽しみなものです。こっちの人以上にアロハスピリットを持つ優しい日本の友人たちにまたまたお世話になってしまうことでしょうけど、皆さんよろしくお願いします。

タイトルの「こうき心」ですが、先日たまたま吉田拓郎さんのコーディネートをしている友人から頂いた拓郎さんのOLDIESというCDの中で私が中学生の頃にやけに口ずさんでいた歌があり、そのタイトルからいただきました。こんな感じで始まります。

「町を出てみよう。 今住んでるその町が 美しい緑に覆われた 愛すべき町だったとしても 町を出てみよう 汽車に乗ってみよう」

これを書きながらふと思い出したが、12歳の彼は未だに食堂のオヤジになりたいものなのだろうか、そろそろヤツの部屋で男同士の会話を交える時季かも知れないなぁ。

02年05月29日
JOY
OHANAに毎年1ヶ月単位で泊まってくれるウインドサーファーの友人から会社の同僚がマウイ島で結婚式をしたがっているのでヒロさんとカナさんでプロデュースしてくれませんかね、という電話が入った。話を聞けばすでに入籍していて子供もいるが、結婚式はやっていないらしい。

友人の結婚式は以前に何度かコーディネート会社を通して手伝った事があるが、やはりいくつかの?を感じてしまうことも多かったので、今回は自分たちで組み立ててみようか、と言う事になった。
限られた予算の中から衣装、リムジン、教会、牧師、メーク、レセプションと考えると派手な結婚式は出来ないが、マウイの手作り結婚式らしい愛情溢れるものにしたかった。ラッキーな事にスタッフ、ベンダーとも友人関係で固める事が出来、実際の運営には結婚式畑で10年以上働いている波乗り仲間のイボーンが手伝ってくれた。通訳兼コーディネートは可奈なので、新郎新婦もずいぶんとリラックスできただろう。

当日ボートの仕事が終わり撮影器材を背負って教会に駆けつけると英語をしゃべらない新郎新婦と日本語をしゃべらない牧師さんが頓珍漢な会話をしていて微笑ましかった。新郎新婦の子供と友人5人というささやかな式であったが、気さくな仲間と神父のおかげで素晴らしいものになったと思う。2歳のノアちゃんを抱え花嫁衣裳を初めて着た新婦の目から溢れ出る涙は、出席者の胸を熱くした。カメラのファインダー越しに覗いた光景には愛と喜びと緊張と照れが確かに見え隠れしていたのだが、私の写真は上手くその表情を切り取る事が出来たのだろうか。

なにはともあれ初めてのマウイで結婚式を挙げた北爪ご夫妻、おめでとうございます。いつまでもお幸せに。
02年5月18日
PRIDE

キヘイサーフクラブの会長が亡くなった。今日は彼を海に帰す日だ。

我々サーファー仲間は花を持って海の中で輪を作った。
ティーリーフで飾りつけたアウトリガーカヌーが家族を乗せ輪の真中に入って来ると爆音と共にヘリコプターから花と一緒に故人の灰が空中にばら撒かれた。

カヌーに飾りつけたハワイアンフラッグにつかまりながら長男が立ち上がり、誇り高く空を仰ぎ、空から降ってくる父親の灰を見つめる。

我々は花を海に流し、雄たけびを上げ、水面を叩く。
故人を偲び集まった20台近い大型トラックが道路からいっせいにホーンを鳴らす。
魂が揺さぶられ頬を伝う涙が波にさらわれる。

海と子供たちを愛しつづけたハワイアン、ビル ロドリゲスの冥福を祈る。

02年05月8日
猫になりてぇ〜
GWも終わり久しぶりにコンピューターの前に座っています。海のほうも穏やかな日が続き、ダイバーの方たちにはなかなか良かったんじゃないでしょうか。今日は薄曇の水曜日で子供たちのいない昼下がり、我が家の猫もの〜んびり羽を伸ばしています。

マウイに住んでいて、こういう仕事をしていると毎日のように色々な出会いがあり、数週間前に日本に帰った人でもはるか昔のような感じがしてしまう。しかし本人たちは当然マウイ島の思い出をしっかり胸に抱いて生きてきているので、1年後に来た時も「お久しぶりですっ」と元気な声で挨拶してくれます。
このGW中も何回かそんな出会いがあったのですが、失礼ながらどなたかわからない...。私の頭の中は????状態でうろたえながらも必死に思い出そうとするのだが、やはり「申し訳ないっ!」となってしまう。徐々に話を聞いていると「う〜ん、そういえば」とやっとおぼろげに思い出すこともあるのだが、全く失礼なやつでスミマセン。この場を借りて全国の人に記憶力の弱い自分を暴露&謝罪しておきます。ゴメンチャイ。

今日は久しぶりに午前中から波乗りに行ってきましたが、そこで友人に会い「マウイ島はなんて生活が厳しいのだろう」と言う話題になった。彼も私も日本人の少ないマウイ島で日本人相手の仕事をやっているので当然と言えば当然なのだが、ブランクの多い予約表を眺めては「これで大丈夫かいな」と思ってしまう。んが、しかし、頭の半分では「ムフフ、遊べるぞ〜」と悪魔が囁いているのも事実で「やばいなー」のあとに、「じゃあこの日は何するか」とすぐに気分を切り替えてしまう。
「仕事もないのに遊んでしまう」環境では、「ナニヲカンガエテイルノカネ」と止める人が必要なのだが、安定と言う言葉を知らない役者の娘の我が嫁さんは危機感ゼロですぐにタッタララーと遊び案に乗ってきてしまう。二人がこれではどうしたものかと思うのですがね。

しかし流石に何日も続けて遊んでいると段々落ち着かなくなってくる。遊んでもいても楽しくなくなってくるのだ。やはり人間と言うのは安心して生活できる基盤があってこそ、初めて物事を楽しめる余裕が生まれる、ということなんだろう。意識はしていなくても私の肩に色々な支払いが乗っかっている事実を「やばいなー」と感じてしまい、日を追うごとにその「やばいなー」感の脳に占める割合が増えてくる。それを何とかしようという気持ちを「責任感」と呼ぶのだろうが、時々ぜーんぶぶちまけては、昔のようにふらふら旅などしたくなってくるから困ったものだ。

よくマウイ島でこういう生活をしていると「いいですね〜」といわれるが、その裏のラフな生活事情は見えていない。日本で毎日通勤電車に乗って齷齪働いている人は大変だと思いますが、そのような苦労がない分、ある面恵まれていると思います。と、今回は久しぶりに日本の会社員の皆様を励ましておきます。

なんだかしみったれた話題になってしまいましたが撮りだめてあった我が家のネコの写真を眺めては「ネコになりてぇ-」と思い、徒然に書いてしまいました。謝謝。
02年04月5日
Deep Sea Fishing
ボート関係の友人MIKEとバーで飲んでいたら、明日から1週間くらいは無風状態が続くと言う話題になった。
「俺、明日休みなんだよね」というと「じゃあ俺も休むからトローリングに行こう」と言う話が急展開に決まり、翌日の朝6時に港に集合して2人で船を出した。彼の船は私の船よりやや小さいがフィッシング使用になっていてGPSから魚群探知機、イケスにいたるまで、使い勝手がいい。

モロキニ沖までボートを走らせそこから竿を5本だし、南にひたすら走る。マウイ島とハワイ島のチャンネルなのに海は見たこともないように凪いでいる。3時間ほど走らすと小さな鳥の群れを発見。我々は中でもハイバード(高く飛んでいる鳥)を狙い、その下にボートを走らせる。鳥の下には小魚が、小魚の後ろには大きな魚がいるはずなのだ。案の定ロッドがギリギリギリとうなり、当たりがあった。テンションをかけたままで魚の動きに合わせて釣りざおの向きを変える。数分後に海の中から1mほどのマヒマヒ(しいら)が姿を見せる。青緑色の体色が鮮やかだ。マヒマヒがボート真横に来ると友人のマイクがギャフを用意し船に引き上げる用意。しかし、その瞬間、マヒは最後の力を振り絞って高くジャンプし、ルアーから外れディープシーに戻っていった。
「あーあ、まあ、しゃあねーな」と私は思ったのだが、ツリキチマイクの落胆はひどいもので「今のは自分が悪かった、くそ、くそ」(英語の分かる人はご想像ください。)と5分くらい自分を責めていた。私は彼をほったらかしビールを飲みながら鳥を探していたのだが、なんと大海原の真中に鳥だらけのポイントを見つけてしまった。"Look! Mike!" "Oh My God!" 何十、何百という鳥の群れがそこかしこにある。
それから我々はそのポイントをなめるようにひたすら回り、16回のヒットを経験し、10匹のマヒマヒを釣り上げた。すでに海に出て10時間を経過している。「もう充分だから帰ろう」、と私が言うと彼はしぶしぶ承知してくれ船を港に戻した。

結局港に帰ったのは夕方の6時。我々は12時間海の上にいたのだが、彼は真っ暗になるまでやりたかったらしい。こんなにヒットがあるのは彼の何十年のトローリング人生でも初めてだと興奮していた。もともと釣りやトローリングにあまり夢中にならない私は途中から結構退屈してしまい、最後の方は「またかかっちまったよ」と言う感じだった。この日は10回以上リールを巻いたので左腕の筋肉が未だにしびれている。


一番小さなマヒマヒを1匹だけもらって友人宅に持っていった。今日は私のボートを何回もチャーターしてくれたファミリーの最終日なのだ。私が持っていったマヒマヒは彼らのBBQグリルには収まらず、大人6人の腹を満たしお持ち帰りまで出来た。
「ママズフィッシュハウスよりよっぽど上手い」などと嬉しい事を言ってくれるので、今年はもう少しトローリングに出てみようかな、などとも思ったりするが、やっぱり潜って魚を捕まえる方が興奮して楽しい。

ちなみにツリキチマイクは翌日も会社をサボり同じポイントにトローリングに出かけていった。人生そんなに上手くいかないものでその日はまったく鳥の姿がみられずマヒマヒ2匹に終わったらしい。ヌハ
02年04月9日
ビーチBBQ
久しぶりに近所のビーチでサンセットBBQをした。

実は簡単なので家でやろう意見が多かったのだが、「絶対夕焼けが綺麗だから」と言う単純な理由でみんなを押し切り無理矢理道具運びを手伝わせた。
メンバーは湘南のフラダンサーまりチャンと友人の新郎新婦、トシくんにヒロミちゃん。インターネット仲間のろばちゃんとAIKANEちゃん。前日に冷凍オニギリを足に落っことし骨折した湘南ボディボーダー、タマイ。日本在住ダイビングイントラCHI、自然や海や夕焼けの全く似合わないマウイ在住R,それにいつものZGギャングと言うメンツだ。

この日は両脇のテーブルをキヘイとパイアの教会関係の人たちに固められて、「ん〜、あまりさわいじゃいかんかな、Rにリーシュつけとこうかな」と思っていたのだが、彼らはとってもフレンドリーで、それぞれがそれぞれのテーブルでいい時間を過ごしていた。帰り際にホームメードのブラウニーやクッキーをくれた若い信者はシャカをしてかっこよく帰っていったぞ。

夕焼けの時間にはみんなでカメラを取り出しサンセットショット。太陽がラナイ島の後ろに落ちるようになると夏が近い。ここから空の色が徐々に変わっていくのが見ものだ。我々にとっては日常の景色だが全く飽きる事がない。こんな景色を見ているとやはり人間はいい物を食べて、いい物を見て、いいものを読んで、いい音楽を聞いて豊かな気持ちで暮らさなければいけないなと思う。言葉を発さない自然の景色だがそんなメッセージを感じてしまう。

今回はちょっと気障なので、冷凍オニギリで足の指を2本折ったタマイの写真を載せておく。
02年04月21日
Road to Hana
灯台下暗し、とはよく言ったものでマウイに住んでいるとよっぽどの事が無い限り、HANAやHALEAKALAには行かない。
この日は友人たちがハナに遊びに行くというので、「ンじゃ、私も写真でも撮りに行こうかなぁ」と同乗させてもらった。実は白黒のポジフィルムがたくさんあまっていたのだ。緑の綺麗なHANAに行って白黒フィルムというのも変な話だが、まあいいのだ。

人の運転でハナにいけるなんて、こんな楽な事は無い。乗るっきゃない。奴隷バー、もといドライバーのA氏はよくHANAツアーなどもやっているので、こんなに適切な人はいない。「とにかく君がいつもしゃべっているように、全てしゃべれ、みんな吐き出せ」とキヘイからの道中ずっと強制的に説明してもらった。
陸の観光ツアーなんて参加したことも無いが、今まで何気なく通り抜けていた道にもいろんなストーリーがあるのを教わって、なかなか勉強になった。久しぶりに行くハナへの道は萌えるような緑と豊かな水が溢れていて、ドライなキヘイ住民の目にとても瑞々しく写る。しかしここに住みたいか、といわれると今はまだいい、という感じだ。町が孤立しすぎているのでいざという時に困ってしまう。そして大事な事だが海が波乗りやウインド、ダイビング等に適して無いのだ。そのうち子供たちが成長して私も貝殻拾いやボンサイを趣味にするようになったらOHANA on HANAでも作ろうかな。

ハナの町を抜け7つの聖なる池に飛び込みリンドバーグの墓参りをし、東マウイにさしかかると、緑の繊細な景色から雄大な茶色と青の景色に変わり、そのコントラストが面白い。陸の説明をしてくれるA氏に「ここはロブスターがいっぱいいるぞ」とか「ここは4ヒルといって釣人の間では有名だぞ」と私が海の説明をする。もう下界にはラパルース湾が見え私のテリトリーだ。我々の4ランナー(日本ではサーフ)は未舗装の道を80キロで突っ走り、あっという間にクラの町についた。車を停め、サンセットを眺め、牛の声を真似して今日一日に感謝しつつ帰路についた。

いつも私がハナに行く時はオヘオガルチでキャンプしながらオピヒやロブスターを捕まえ、途中、波乗りやダイビングや乗馬をしてヘトヘトになって帰ってくるので、今回のハナは「普通の人はこうやってHANAと関わるのだな」とある意味とても新鮮でした。

車を提供してくれたAちゃん、ボランティアドライバーA氏のアロハスピリットに感謝するとともに、きっかけになったミッチのわがままにもちょろっとだけ感謝しとこう。
02年3月19日
Gusty North Wind
朝から強烈な風が今日で3日続いている。これが北西の貿易風ならば何とか逃げる場所もあるのだが今日のような北風の場合はキヘイ、ワイレアの海面をあっという間に白くしてしまう。港までボートを持っていったが、お客さんと相談、結局船を出しても潜れるポイントが限られてしまい、面白くないという理由でキャンセルにした。

風は吹いているものの空は晴れている。ぽっかり時間が出来てしまった私は波乗りにでも行こうと思い友人に電話するがホオキパ方面はぐしゃぐしゃ、ラハイナ方面も風が入っていておまけに波はないという。
ボートのある日は朝が早いのでまだ9時前である。とりあえず自転車に乗って10キロほど走る。その後簡単なバーベル運動をし車の修理と掃除をしお昼を食べた。
ブンブンうなる風の音に、そうだ、とひらめき息子のスケートボードに穴をあけてウインドのセールをつけてみた。走ることは走るのだが家の前の道では完全にダウンウインドになってしまい、なかなか難しい。どこかアビーム(横からの風)に走れる場所はないものかと考えていると、春休み中の娘が「ダディー、凧揚げよう」と私の日本土産の凧を抱えてきた。これは7連凧で「竜」とか書いてありなかなか渋いのだ。強風の中、その凧はあっという間に上がり、なかなか楽しい一時を持った。

左の写真はビニールシートに石鹸を塗りまくり水を流して滑りっこ、という単純にして明瞭な遊びだが、近所の子供たちも集まってきて盛り上がっていた。人の目がなければ私も参加したかったがさすがにチト恥かしかったので水撒き係りに回った。

もう一枚は我が家の屋根の上だ。いきなりバーンバーンという音がしたので「なんだ?」と思い外に出たところ海から立派な花火が上がりだした。「みんな屋根に登るぞー」とオハナの住民などに号令をかけ花火鑑賞をした時の1枚。なんでもこの日はエアロスミスのボーカル、スティーブンタイラーの誕生日だったそうだ。
02年3月8日
Mother and Child
2本のダイビングが終わり、通常ならここで港に戻るのだが晴天凪ぎ凪ぎのよだれの出るようなコンデションに加え、私は先日購入したルアーを試したかったので、お客様全員の許可を頂いてそのままボートを南下、イルカ遭遇率60%をはるかに上回るラッパルースポイントを目指した。ポイントに近づくと待ってましたと数十頭のイルカたちがアロハカイと並走する。会えない場合を考えてお客さんにはイルカの事を話さなかったので、彼らは突然のゲストに狂喜した。周りには他の船は居ず、またしてもゼロの独り占め状態。ハシナガイルカ達との至福の時間を過ごしていると、今度は200mほど沖に鯨を発見。船を100mほど鯨の風上に回しギアをニュートラルにし潜ってしまった鯨たちを待つが意外と現れない。船は5分間ほど風下に流されている。もしかしたらこの下辺りに居るんじゃないですか、とミワコがマスクをつけボートの上から水底を覗き込むと「す、すごーいですよ」の言葉。私もマスクをつけて水中を覗くとなんとそこには3頭の鯨。よく見ると中層で3mほどの赤ちゃん鯨が母鯨の胸鰭の下辺りに顔を突っ込みおっぱいを飲んでいるではないか。そしてその横には母子の授乳シーンを見守る13mほどのエスコート鯨が水深10mほどの真っ白な砂の上に横たわっている。まるでそこだけ時間が止まってしまったかのようなとても神秘的な光景だ。水に飛び込んで写真をとりたい衝動をぐっと押さえボートの上からカメラを突っ込み何枚か撮るが正直に言うとそのときの私は、見てはいけないようなものを見てしまったような気がして何故か落ち着かなかった。神々しい光景、というのはもちろんだが、それ以上になんだか人の家に土足で上がりこんでしまったような、そんな感じだ。
この親子はなるべくそっとしておいてあげようと早めに退散し、港に戻ったがこの日の光景は当分忘れる事は出来ないだろうな。
02年2月7日
ある日の生活
オーオーずいぶんサボっちまった.ダイビング日誌や波乗り日誌にネタを奪われて、っていうのはウソだけど、最近気が乗らなかったんですよね.下手に写真なんかつけちゃったからそれも困る.自分で自分の首をしめてるわけだ.最近の私は何をしていたかというと、某国営放送のダイビングのお手伝いをしたり、アウトリガーカヌーを漕いだり、下手なテニスや波乗りをしたり、韓国拳法を教えてもらったり、えぐいけどやめられない花村満月の小説にはまってみたり、今更ながらグリーンマイルを見て涙したり、いただいたテストライダースのCDをかけて「ぐりぐり、チューブだ」とシャウトしたり、ボートをあれこれいじってみたりと、普通に生活していましたです、ハイ。

こうやって書くと遊んでばっかりでまったく仕事をしていないみたいだが、ちゃんと朝6時に起きてボートをトラックにくくりつけ午前中はしっかり海の上でキャプテン業もこなしているのだ。これでしっかり収支バランスが取れれば理想の生活に結構近いのだが、どうも人生はそんなに簡単じゃないようだ.しかし嬉しい事に着実にリピーターの数は増えているのでまっとうなサービスをまっとうな料金で提供していけばそのうちに何とかなると思っている.

多くの人たちが日本で一生懸命ためたお金を落とすのに価値のあるサービスを提供するには多分精神を自由にして遊びに精進しなくてはいけないのだ、と無理矢理自分を肯定して締めくくっておきます。

写真は今日の気持ちのよいダイビングの後、港でのランチ&ログつけの一場面です.大森さんチーム3日間のダイビングお疲れ様でした.いやいやすごいもん見ちゃったね〜。
02年2月13日
マウイの風
さて写真の彼は誰でしょう
ハンドルネーム【さとたろう】さんです。名前を知ってる人は多いと思いますが、ハワイとギターと音楽が好きな日本の真面目な会社員君です。今回はふと時間が出来たようで3泊4日の短い間でしたがマウイ島に遊びにきてくれました。初対面にもかかわらずお互いに顔を見た途端指を指して笑い出してしまうほどインターネットを通して仲良くなっていた人です。
彼の渡マウイは突然の事だったので我が家のリビングルームに雑魚寝、移動もトラックの荷台とローカル色満天のおもてなしをした。見ることやる事全て新鮮だったようで、短い滞在の間に何回も「気持ちいい〜」と叫んでいました。
波乗りをし、ボートダイブをし、なおかつライセンス講習と殺人的なスケジュールをこなし、フラフラになりながらも寝るのがもったいないと、ウロウロさまよっていた姿がおかしかった。
長髪をバサッとさげて深いお辞儀をして今朝早く日本に戻っていきましたが、きっとハワイ好き仲間の皆に嫉妬の嵐を受けるんだろうなぁ。こんなとこに証拠写真も載っちゃったしなぁ。いっぱい苛められるんだろうなぁ。かわいそうだけどこの写真、証拠だよなぁ。

ちなみに上の写真を撮ってくれたのは久しぶりに遊びにきてくれたマウイブリーズのユキチャン(あ、マウイの空にカメが飛んでる訳ではありません)、当然姫は私の横に乗せて、さとチャンは荷台(ハハハ)だったのですが、これはビッグビーチの帰りでしょうね。ボートの仕事が終わりちょっとした時間があったので息子と皆で海に遊びに行った時の1枚です。真っ白な砂の上に横たわり、これという話もしないでボディボードで波と戯れる息子をみんなで静かに笑いながら見守っていただけだったのですが、なんだかとってもいい時間が共有できました。青い空と青い海と暖かい日差しとマウイのそよ風の下で手足を思いっきり伸ばしてみんな優しい人になっていく。

今は2人とも日本に着いているのでしょうが、今度はもう少し長く遊びに来てくださいね。なんたって今日なんかイルカ100頭以上に私のボートが囲まれその横にグワーと鯨が出てきたんですぜ。その様子はもうすぐヨシGがダイビング日誌に書いてくれるでしょう。お楽しみに!

PS デジカメを片時も離さないユキチャンですが自分の写真を撮られるのは嫌いなようで、このときもカメラを向けたらバッと砂の上にヘッドスライディングしてました。その姿がおかしく2,3回撮るふりをしましたがそのたびに元バレーボール部の鬼キャプテンらしい見事なヘッドスライディングをかませてくれました。お許しを頂けたらその姿を載せたいんですがねぇ。

おおー、なんと今お許しのメールが入りましたぜ。ユキチャン、ありがとう!さとたろう、足邪魔!
02年2月16日
Swim with Dolphin
友人夫妻がオアフ島からヨットでモロカイ島を経由してマウイ島に入った。現在はビッグビーチに停泊中なので、子供たちを連れて遊びに行く事にした。ボートで行ってはつまらないので、リトルビーチの北側からカヤックで突然行って驚かす事にした。

私は娘を膝の上に乗せタンデム、息子と妻はシングルカヤックにソロ、ひょっこり首を出す海亀に挨拶をしながらリトルビーチの前にさしかかるとヌーディストが沢山日光浴している。娘は崖の上に立っているすっぽんぽんのカップルを見つけゲラゲラゲラと大声で笑い、「Daddy, Take a picture」などとと叫んでいる。その日はハウジングに入れたデジタルカメラを持っていたのだがそんなに赤裸々な事はもちろん出来ない。レッドヒルの前では知り合いのキャプテンに会い、「さっき5フィートくらいのタイガーシャークが出たから気をつけろ」と注意を受ける。

ポイントを曲がると友人のヨットが見えてきた。海賊のように乗り込むと「今電話してたんだよ」と彼らは突然の訪問を喜んでくれた。そして「今日は朝からずーっとイルカと泳いでたよ」とのたまった。「本当? もう行っちゃった?」「まだあそこにいるよ」と150m程先を示す。なるほどその近くにはスノーケラーが群れている。「マスク貸して!」「行くぞ!」今まで家族の最後尾で皆を見守りながら来たのだが、このときばかりは娘を母親に任せ猛スピードで皆を振り切ってイルカに向かっていった。

その場所につくとおーおー沢山の背びれがくるくる回っているではないか。マスクをつけKAYAKとパドルを投げ捨て水底を眺めると何十頭ものイルカの群れが人間のいるのも気にしないでゆっくりと泳いでいる。肺に一杯空気を貯め水底に潜ると何だかいつものように潜れない。やはりTシャツを着たままの足ヒレなしだと身体が沈まない。それでもこの夢のような光景に心を打たれシャッターを押しつづけた。普通の水中カメラと違いデジカメはシャッターを押して映像を記録するまでにかなりのタイムラグがあるのでじれったいが、もう目くらめっぽうに押すだけだ。その日の写真はここ。

しばらくして一つしかないマスクを息子に渡し数十メートル先に流されている自分のカヤックまで泳ぐ。その後母親と娘も交互に野生のイルカを眺め、感嘆の台詞を吐き出す。しかしイルカ達は常に動きつづけているので彼らを追うのも楽ではない。
カヤックの横に捕まり追跡を諦めた娘の海香子に「イルカは子供が大好きだからそこにいればきっと来るよ」と誰かが教えてくれる。すると、どこからともなく数十頭のイルカの群れが海香子の手の届きそうな範囲までグーッと泳いできてスーッと水中に潜る。これは単なる偶然か、本当に子供好きなのか?私の頭は?マークがブリンクするが偶然ですませてしまったらつまらない。やっぱり彼らは子供と子供の様に純粋な心をもった人の前に現れるのだ。ちなみに私は今週だけで3回遭遇している!!!! ヌハハ


1時間ほど戯れただろうか。イルカたちを残し友人のヨットまで戻りビールを飲み幸福な一時に感謝する。将来ドルフィントレーナーになりたいといいつづけていた娘は興奮していた。友人はオアフ島を離れマウイに住みたいと呟く。

風の上がる前にヨットをあとにした我々は夕方にBBQグリルを持参してビッグビーチに戻った。変わりゆく空の色と焼いたマシュマロををつまみに揺れない地面の上で昔のことを話し大笑いし、これからのアドベンチャーの企画を少しだけ立てた。
02年2月23日〜28日
ラナイ島缶詰事件
週末を利用してアロハカイでラナイ島へ小(笑?)旅行に出かけた。ヨットでマウイ島に来たランドはラハイナでカリフォルニアから到着した自分のお父さんを乗せ、すでにラナイ島に到着している。我々アロハカイのメンバーは私とランドの妻リサ、セーリング犬プッチ、突っ込みのミワコと友人のカオル嬢の4人と1匹。

高速用ルアーを海に流しラナイ島までの約20マイルを2時間かけてのんびり渡る。海峡は穏やかで鯨の群れに会うたびに犬のプッチが興奮して吠えまくる。ラナイ島のマネレ港に到着するとハーバーマスターのシェリーが碇泊場所を提供してくれ、その後ランドや久しぶりに会う彼のお父さんに挨拶、しばしのんびりと和みながらお互いのトリップの話などで盛り上がる。
一息ついたあと私とランド、ミワコ、カオル、ランパパ(ランドのパパなのでそう呼んでいる)のメンバーでアロハカイでラナイ島の北側をチェックに行った。適当な所に船を停めランパパは釣り、それ以外のメンバーはダイビングをした。まだ初心者のカオル嬢をミワコに預け私とランドは船から100Mほど水面移動し岸よりのケーブ(洞窟)に潜る。洞窟に頭を突っ込んだ瞬間ランドがあわてて出てくるので何事かと思い中を覗くと2Mほどのサメが砂地の上に寝ていた。初めてのポイントを潜るのは楽しく、この場所では親指大の可愛いオレンジ色のイザリウオを見つけた。しかし夕飯の食材調達が目的のダイビングなので私とランドは岩の割れ目をひたすら覗きながら数匹のロブスターをようやく捕まえた。船に上がるとランパパが底釣りで既に10匹ほど釣り上げている。何とか全員分の食材は調達できたので港に引き上げたが、帰り際に気付いたら私もランドも潜水中に何箇所も体を岩で擦り剥いていた。

港に戻り魚を卸し夕食の準備にとりかかる。ランパパはハエが大嫌いらしく真面目な顔でハエタタキをぶんぶん振り回している。ハワイに長く住むと虫には慣れてしまうらしく、メインランダーの彼のその姿を皆でニヤニヤ眺めていた。

私の計画は月曜日から天候が崩れる予報なので、土曜日にマウイを出て日曜日の早朝にマウイ島に帰る筈だったが、如何せんその日の夜から風がざわついてきた。
翌朝6時に目覚めると嫌な予感は的中、海は真っ白、風は40ノットほど吹いている。この中をマウイ島まで帰るべきか判断に迷う。結局次の日からはもっと荒れるだろうという判断でランドたちの見守る中、とりあえず海に出てみることにした。ラナイ島を抜けるまでは思ったより快調に走ったがラナイ島とマウイ島のチャンネルに差しかかると風波がビルドアップしていて3mほどの高さになっている。風は北にシフトしていて直接に外海の影響を受け、逃げる所がない。3回ほど船を飲み込むほどの大量のスプレーを浴び、結局安全のためラナイ島の港に戻る事にした。よく考えたらマウイ島に早く帰らなければいけない理由は何もないのだ。
ラナイの港に戻るとハーバーマスターが天候が回復するまでゆっくりしていけという。ランドの快適なヨットもあるので、これで久しぶりに友人とゆっくり話せる時間が持てたというわけだ。カオル嬢はその日の夕方にフェリーでマウイに戻ったが、ラナイの港にはマウイ島から来た親子連れと、ラハイナ沖の船に暮らすフランス人スリル、オアフから小さなヨットで来たマットなどが同じように天候回復を待っている。

結局ラナイ島にはその後5日間缶詰になったわけだが、毎朝6時頃起き海をチェック、日中は本を読んだり釣りをしたり、時には町に出て気ままに過ごし、夜は9時頃に寝る生活が続いた。1つの場所に缶詰になるのは高校のときの丹沢キャンプで遭難した時以来で、あの時は1週間後に自衛隊のヘリに救出されたが、それに比べると今回はフェリーで帰ろうと思えばいつでも帰れるのだから、正確な缶詰ではなく、気楽なものである。

天候の方は一日目より二日目、二日目より三日目という感じで寒冷前線とコナストームがぶつかり、どんどんぐしゃぐしゃになっていった。ある朝目が覚めていつものようにランドのヨットまでコーヒーを飲みに行くと、隣に停めていたスリルのトリマラン(三双艇)のポートハルが完全に桟橋の下に入ってしまって船が今にも折れそうに傾いている。昨晩の強風でなったらしいが、私はそれをランドに伝えると、こっちにもストーリーがあるという。
「ど、どうした?」と聞くと早朝に70過ぎのランパパが海に落ちたとのこと。船から桟橋まで満ち潮の時は1mほど飛び降りなければならないのだが、ランパパは上手く着地したものの風に煽られそのあとでドボンと海に落ちたらしい。桟橋とヨットの間にはさまれたり、頭などを打たなくて本当に良かった。彼は自力で陸まで泳ぎ、そのままシャワーを浴びに行ったらしいがタフなアメリカ老人だ。
海に落ちたその日にランパパはフェリーでマウイ島に戻りカリフォルニアに戻っていったが最後に忘れられない思い出を作ったというわけだ。

ランパパが去ったあとランドは「彼は楽しんだと思うか?」と私に聞く。彼は他界してしまっている私の父とも生前に会っているので、年老いた自分の父が元気なうちに親孝行をしたかったらしい。「もちろん」と私が答えるととても嬉しそうな顔をした。

そしてオリジナルZGギャングだけが残ると昔のようにやんちゃが始まり、皆で一張羅を着て(といってもアロハシャツに靴くらいだが)マネラベイホテルに忍び込みビリヤードや卓球などの各施設を使わせてもらったり、崖の上に現れる見事な満月のムーンライズを鑑賞に行ったり、とても平和に楽しく過ごした。

6日目に天候が回復し早朝にラナイの港を出港した。トローリングの竿を出しGPSをキヘイの港に合わせるとほぼ真東だ。ハレアカラから登る太陽が目にまぶしい。凪いだ海面に鯨が顔を出す。入れたてのコーヒーが上手い。うーん、全ては快調快調、気持ちいいわい、モロキニ島が見えてきた、マウイノカオイ、キヘイの港はすぐそばだ。
9時前に無事に港に戻り、待機していたヨシGとエミリンに合図、停泊の為に舵を回すとポキッと不吉な音。な、なんとステアリングが壊れた。やっとマウイに辿り着いた私にそんなオチまでつけなくてもいいと思うのだが、幸いなことに港内の出来事、これがあの荒海の中で起こったらと思うとぞっとするが、それでも海はやめられないから困ったものだ。

私がいない間心配してくれたキヘイ港で働くキャプテンとクルーたち、ゼロHPの仲間たち、快くビーチダイブに変更してくれたお客様。そして家を守ってくれた妻と友人、MANY MAHALOでした。
02年1月18日
Dive in Jaws, Peahi
この2〜3日ドドドドブア〜って感じで朝も夜もお構いなしに風が吹いている。それでも近所の波乗りポイントだけは他に比べて風が弱いようでたいした波でもないのに大勢のサーファーが水に入っている。普段は他のポイントでしか見ない人もここに来ているということはマウイ中嵐のようなんだろうな、と想像する。私の知り合いの船もキャンセルした人がほとんどのようだ。
ハイパー正月が過ぎてこういう自分だけの日はたまった事務仕事や家の掃除などをすればよいのだが、わたしの頭の大部分がメンドクセーと呟くのでついつい用もないのにコーヒー片手に近くの海に出かけてしまい、そこにいた知り合いなどと無駄口をたたいてホロホロと過ごしてしまう。まあこうやって時間を無駄に過ごせるのもある面贅沢な過ごし方かもしれないな、と自分を納得させつつね。

さてたまにはキャプテン・インストラクターらしい話をしよう。
先日最近話題のJAWSの海底に潜ってきました。暗いうちにカフルイ港から船を出し、うねりの中を突き進みGPSとレーダーを駆使してようやく2時間後にポイントについた。船を泊めるとまともにうねりが感じられ、バディーのイケイケヨシGが「HIROさん、本当にここ潜るの?」と聞いてきた。「おう」、ヨシG「…」というわけで無理矢理水中に入ったのだが、水底は大きな半円形の棚がボコッと出っ張っていて、とても1本のダイビングでは回りきれなかったが、北から来たうねりがこの棚にぶつかり逃げ場がなくなりあのJAWSの大波を作るのだな、というのが何となく実感できて、興味深かった。途中ボキボキ枝珊瑚が折れているのはおそらくワイプアウトした人が水底にぶつかった時のものだろう。10Mまで引きずり込まれるJAWSの波、おそろしかー。ちなみに透明度は15Mくらいで魚は少ないが結構レアなハワイの固有種、バンディットエンジェルフィッシュなどもいてそれなりに楽しかった。

この潜水はNHKに依頼されての調査潜水なのだが、本番がこの後に控えている。我々が降りた水深10M地点から沖へ向かうのは結構カレントがあるので深いところからドリフトして行こうかな、などと考えながら水面に上がると友人のキャプテンマイクは釣りに夢中で我々の方を見てもくれない。「おーい」とでっかいソーセージみたいな棒を振り回すとやっと彼が迎えに来てくれた。
JAWSでダイビングするやつも少ないけれど、このうねりの中で底釣りするやつも珍しいんではないかい。

02年1月20日
Snows in Haleakala

今朝は朝から6人乗りのアウトリガーカヌーをこいだ。これは見た目よりも結構ハードなスポーツで久しぶりにはぁはぁ言ってしまった。しかし早朝の朝の空気はすがすがしく室内で運動するよりはよっぽど気持ちいい。6人のパドルの息が合ったときにはカヌーがぐいぐいっと進むのを体で感じる.

海の上で休憩しているときに誰かが「Look Haleakala got SNOW!!」と叫んだ。見上げるとなるほど頂上付近が真っ白になっているではないか。子供たちにそのことを告げると「行きたい、行きたい、行きたい、行きたい」と4回も日本語で反応し、想像以上に興奮しだした。これはもう行くしかないな、と私の6300ccのモンスターガス食いトラックにガソリンを補給して昼過ぎに出発した。

久しぶりに来た日中のアップカントリーの萌えるような緑は乾燥したKIHEI住民の目に染みる。本当にいいところだわいと思いながら山を登って行くとすれ違う車のボンネットに雪が残っているではないか。現実にマウイで初めて雪を見た息子は「I can't believe snows in Maui」とつぶやいた。しかし島中の人たちも驚いているようで7500フィート付近からなんとローカルの雪見渋滞が始まった。それぞれトラックの後ろにクーラーやシャベルが積んであるのが面白い。動かない車から降りて歩き出す人、裸になってマラソンしながら登っていく人。こっちの渋滞はみんないろんなことをやりだすのでそれはそれで面白いのだが、反対車線から下ってくる車がそれぞれフロントボンネットの上に雪だるまやお団子、シャカマークなどの雪で作った作品を乗っけながら下りてくるので子供たちの興奮は加速する。

ハレアカラ国立公園のゲートを抜けるとようやく渋滞が収まり、しばらく走ると道の左右の火山岩の上に降り積もった雪景色が見え出した。とりあえすおなじみの天辺の展望台まで上ってみたが、一面のガスでクレーターは一切見えない。早々と引き上げ目星をつけていた雪がたくさん残っている場所に車を止めると一時だけ青空が広がり、くっきりとした虹が出た。子供たちはほっぺたを真っ赤にしてジップロックに雪をつめたりトラックの上にへんてこな雪だるまを作り出した。周りの人たちも似たようなことをやっているがみんな本当に嬉しそうに遊んでいる。公園のレンジャーが道端に車を止めているわれわれにショーガネーナという視線を走らせて通り過ぎる。
一通り遊んで下山するとボンネットに作った雪だるまは温度と風と雨で徐々に解け始めカフルイの町についたころにはほとんど消滅していた。それでも大切に保管した雪は家まで持ちこたえ、お茶碗に小さな雪だるまを作り写真に撮った。

今では影も形もないハレアカラの雪だが、この日は確かにしっかりと多くの人たちにメモラブルな1日を提供してくれた。私も10年ほど前にビッグアイランドにスノーボードに行ったきり久しぶりに触るハワイの雪が嬉しくてついつい顔がにやけちまいましたぜ。

02年1月07日
Towing Surfing World Championship
今年も年末年始は波に恵まれ、サーファーたちは大喜びで海に繰りだしていたようです。逆にダイビングを生業にする私は例年になく大風と大波でボートをキャンセルにした日が多かった。このボートを無理矢理出すか、すっきりキャンセルするかはキャプテンの判断にかかっているので怪しい天候の時は6時頃に海のチェックに行ったりするのだが、これが真っ暗な中なので意外とわからない。まあ朝からビュービュー吹いている時は私の経験では90%荒れてくるので最近は早めにキャンセルしている。
この日は北にジャイアントスウェルが入ってきた。私がいつも使っているインターネットの予測では50フィートと言っている。喜ぶべきか悲しむべきかダイビングの仕事はなかった。かねてから気になっていた大波の日に開催されるJAWSのサーフィンコンテスト事務所に電話すると案の定選手は何時に集合、大会は本日開催予定とメッセージが告げている。
この歴史的なイベントを見ようと我が家に居候しているサーファー君たちをたたき起こし、JAWSの崖の上に10時過ぎに着くと大会テントが設営されて見物のサーファーと観光客、メディアのカメラマンとビデオマン、空にはヘリコプターが飛びまわり、いつもはのどかな田舎のパイナップル畑が様変わりしていた。肝心の波の方だが、7,8階建ての大きさのビルが崩れてくるようなもので、飛び散った波しぶきだけでも10mくらいある。その中を豆粒ほどに見える人間が波を上下左右にきわどいポジションを動き回っている。しばらくはその波の大きさと人間のチャレンジ精神に感動し口をあんぐり開けて見入ってしまったが、いかん、これは写真に残さなければと愛用のニコンに300ミリのレンズをつけて何枚か撮影した。

大会の模様はKANAのサーフ日誌に任せて、この日のお気に入りショットはこちらをクリック!
02年1月01日
New Years Day
正月からボートチャーターが入り海にでた。7時過ぎにハレアカラの山頂やや右側にぽっかりと太陽が顔を出した。
海から見る初日の出はなかなかすがすがしく、皆で手を合わせて拝んだ。面が平らな海域を選びながら船を走らせていると前方からブワーとクジラのしぶきが見え、やがて黒い背中を丸めて美しい尻尾を見せながら潜っていった。

今年は縁起がよさそうだぞと家に戻ると、近くの海には綺麗な波が入っているではないか。早速サーフボードを掲げてそのまま海に直行、顔見知りのローカルサーファーに新年の挨拶をし、面ツル肩のサイズの波で波乗りを楽しんだ。

さて写真はレゴとティーリーフで作った鏡餅といろんな人たちに頂いた日本酒。昼寝をした後にちびちび日本酒をのみ紅白歌合戦を見ていると海から帰ってきた友達がどんどん集まってきた。可奈の作った雑煮を食べ正月らしい事をやろう、と言う事で皆で二人羽織をはじめた。見たことはあるがやるのは初めてという人たちばかりでやり方を適当にアレンジしてやったが、なかなか楽しかった。

中でも来る前に有馬の万馬券を当てて60万円を稼いできたダンゴと哲夫ペアは高校からの同級生と言うだけあって抜群のチームワークを見せてくれた。日本酒から始まりケーキに行くのだが、誰の仕業か彼らのケーキにはワサビと芥子がたっぷりぬられていた。さんざん笑った後に斉田家恒例の1ドルじゃんけんが始まり、斉田家代表一真が決勝に残り哲夫との対戦になった。結果は哲夫の優勝だったが、心の優しい彼は賞金20数ドルを一真に寄付してくれた。それを機会に私と可奈からも心ばかしのお年玉を子供たちに与え、新年は平和に過ぎていった。