一年ぶりに訪れた日本からしっかり風邪を引いてマウイに戻ってきた。友人のウノから魚のうまい伊豆の旅館に1泊し親交を図るのでぜひ出席してくれ、ついでにコンパニオン嬢が欲しいか否かのアンケートもとる、とへんてこな誘いのEメールが届いたのは10月の頃だ。コンパニオン嬢はともかく50歳を目前にして青春時代をどっぷりと付き合っていた奴らに久しぶりに会うのも悪くないという気がしたのでオアフ島にいる昔の仲間に連絡した。「どーする、ワタル、行ぐか?」「おー、こんな機会はめったにないから行ごーぜ」と我々はすでにやや興奮し昔のようにイゲバ、イグトキ、イグカラ、イガネバ、イゴーゼの横浜漁師言葉五段活用(?)を連発しはじめた。
2005年11月26日、よく晴れた秋空の下、伊豆の北川(ホッカワと読むのだ)の立派な旅館群を抜け突端にあるなんだかちょっと寂しい宿にマウイ島、オアフ島、箱根、横浜、横須賀から高校時代毎日のようにつるんでいた仲間が集った。数えてみるとなんと28年ぶりだ。メンバーはマサル、ワタル、ノバーキ、ウータン、モリタ、ツヨシ、そして私の計7名。本当ならここにもう一人ジュンボーが居なくてはいけないのだが残念ながら奴は激しく短い生涯を一人で閉じてしまったのでツヨシが彼の墓に行き今日の報告をしてきたらしい。「俺の肩にジュンボー乗っけてきたよぉー」といつものつまらない冗談を飛ばした。
宿で一息ついて宴の席になると高校時代一番悪かったノバーキが今回のテーマは「つぐない」だといってみんなを笑わせた。この年代になると我々が昔どのくらい親に心配をかけていたかが身にしみてわかる。毎日オートバイを乗り回し家になど帰らなかった頃の話だ。特にノバーキは今でこそ立派な公務員になっているが昔から喧嘩っ早くとても危ない奴だった。今回は何かあるたびに「オメェ昔のことをちくるぞぉ」とマサルに脅かされているのが妙に可笑しかった。
宿のおいしい料理と楽しい宴会の後は二次会に行くと言う。そういえば先ほど露天風呂に行ったときに「照海」とかいう鄙びたスナックがあったな。やや嫌な予感がしたがやっぱりそこだった。ドアを開けると髪の毛巻き巻きおばちゃんが「あまぎぃ〜ごぉ〜え〜」とゴジラが火を吐くように熱唱している。周りではその仲間のギドラやカネゴンがやんややんやと拍手をして盛り上がっている。ハワイに住む私やワタルはこのような情景に一瞬躊躇したが我々の仲間はこんなのには慣れているらしくずんずんと店の奥に入っていく。怪獣一味の歌が終わりマイクが我々に回ってくるとノバーキが渋いフォーク演歌のようなものを歌いだした。すると見たこともない地元の酔っ払い親父が何を思ったかいきなりノバーキの後ろに陣取り後ろから人差し指でエイヤッとウグイス攻撃(お尻の穴を突っつく奴ね)をしかけた。ノバーキが「なんだぁ?」と親父に鋭い視線を投げたので我々は一瞬ハッとしたが「やだなぁ、勘弁してくださいよぉ、先輩」と軽くいなしたのでほっとした。昔だったらあれで間違いなく店をひっくり返す大喧嘩になっていたはずだがみんな成長したものだ、良かったなぁ、ウグイス親父。カラオケに疲れた私とマサルは店を適当に抜け出して真夜中の露天風呂に忍び込んだが残念ながら水を抜かれていた。仕方がないので細い月を見ながら旅館にブラブラと戻り一瞬で寝てしまった。
翌日は6時前に目覚めたので昨晩の仇とばかりに一人で海辺の露天風呂に行ったが三つある露天風呂はどれも以外に早朝から混んでいて面食らった。よく見るとタオルを胸まで巻いた女性も何人か居るのでアメリカ在住二十何年すでにスッポンポンのヒロキチはヒェ〜と心の中でびっくりびっくり、彼女らに背を向け落ち着かない気分で大島の後ろから昇ってくる日の出を女性陣が去るまでずっとずっと拝んでいた。ようやく露天から開放されると旅館のまん前の広場で漁師が定置網で捕まえた魚を卸している。マグロにシイラ、ヤガラにマンボウ、モンガラカワハギにバラクーダー、その他いろいろすごい量と種類だ。この辺の海は以外に豊かなんだなぁとモリタがぼそっとつぶやいた。宿の主人が捌いてくれた今朝捕れたその魚をおかずにうまいうまいと朝食を3杯お替りし満ち足りた気分でゆっくりと旅館を後にした。そして私の希望で南伊豆までのドライブ(運転してくれたモリタ、サンキュ)帰りは長い長い動かない渋滞の中を抜けてマサルの管理する箱根の山荘に到着し、やがてそれぞれ解散、自分達の生活に戻っていった。
久しぶりに会った仲間たちは外見こそ年相応に老けていたが中身はあんまり変わっていなかった。来年はハワイでやろうぜと盛り上がったときマウイ在住の私は「おー、いいねぇ、オアフ島なら安いぜぇ。」オアフ在住のワタルは「やっぱマウイだろ、マウイノカオイ」とお互いに譲り合っている。コンパニオンの有無をアンケートで聞いてくるようなこいつらはどう考えてもハワイの絵とマッチしないんだけどなぁ。
今マウイ島に戻りこれを書いているが鈍った体は3キロも太ってしまった。危険なので軽く波乗りを2時間ほどしてきたところだ。実は今晩イーグルスがマウイ島でコンサートをやる。めったにない小さな野外会場でのコンサートだ。残念なことに料金は250ドルもするので仲間とワインを持って隣の公園で寝っころがって星を見ながらただ聞きしようと思っている。70年代の友の元気な姿も見れたし良い気分だ。ピースフール イージィー フィーリンー♪ってか。
朝、いつものように港に行くと、海が大きくうねっている。コンピューターの波予報で南からの大波が来るのは知っていたが西ではなく南のうねりでキヘイボートランプがこんなにうねるのは珍しい。無理をすれば出港はできたが、これではモロキニ島に行っても透明度はかなり悪いだろう。ダイビングには適さない危険なコンデションということでお客様に納得してもらい(港で割れる大波の前なので説得力はある)ボートをキャンセルした。家に戻るとマアラエアのコンドミニアムに住む友人から「目の前の海が大きく割れていますよー」と電話があった。彼女は全てのサーファーがうらやむような場所に住んでいるのにもかかわらずサーフィンはしない。しかし常日頃から「もし目の前の海がわれたら必ず電話をするように」と言いつけてあったので忠実な犬のように「何だかすごい事になってますよー」と連絡をくれたのだ。褒美に大きな骨を上げなければ。彼女の家の前はマアラエアのフライトトレインと呼ばれるポイントで南の大きなうねりでと年に何度か顔を見せるチューブは世界最速のライトと呼ばれ、この場所が割れると他の島の腕自慢のサーファーもわざわざ飛行機に乗ってやってくるほどスペシャルなポイントだ。

こっちの子供達は6月から3ヶ月間の長ーい夏休みに入っている。顔見知りのじっちゃんばっちゃんサーファーも本土から来た孫相手にサーフィンを教えたりしている。波の良い日は欠かさずにいる私よりちょっと年上かな、と思っているシルビアおばちゃんに「ハーイ、ヒロ、これは私の孫のホニャララ(名前は忘れた)よー」と紹介されたので、「ようこそマウイへ、君達もおばあちゃんにサーフィンを教えてもらうのかい?」と聞くと「NO,波は怖いわ」とギャラリーに回り毎日おばあちゃんの波に乗る姿を見学している。海の中で「シルビア、孫は何人いるんだ?」と聞くとちょっと恥ずかしがってから「19人」と応えたからビックリしてしまった。なんでもシルビアの地元では湖しかないので孫達は波を怖がるらしい。でも食い入るようにおばあちゃんの波乗り姿を見ているので学校に帰ると「私のマウイのおばあちゃんはリップするのよ」くらい言うかもしれない。マウイにじっちゃんばっちゃん、親戚などがいて長く遊べる子供達は幸せだ。親が「マウイのばっちゃんのところに遊びに行っておいで」などというと子供達は「イェーイ」とくるだろうし親も「しめしめ、のんびりできるわい」というところだろう。ただしマウイのじっちゃんばっちゃん達は孫に囲まれているこの期間はタバコも酒も控え正しい大人のふりをしなくちゃいけないかもしれない。頑張れ〜
キャプテンである我々の仕事の一つはいかにゲストに快適に海で過ごしてもらうかだ。道の無い海では風と波を読み、なるべく船の揺れない角度とスピードで目的地まで走り、穏やかな水域を見つける。
今日は休みなので昨日のフィルムの残りを撮ってしまおうとシュノーケル用具をセットしてワイレア方面にドライブした。天候も海況も良いしウキウキと遠足気分だ。ワイレアに到着すると予想はしていたもののウルアビーチはとっくに駐車場が無く早朝というのに海の中にはすでに十人以上入っていた。「やっぱ、今はハイシーズンだしなぁ、まぁ皆楽しんでくれよ、わたしゃ他に行くからいいよ。」とこの辺はまだ良い人だ。そして南に下りアヒヒベイを目指した。到着すると海際の私の駐車場(勝手に決めているのだが)はすでに空きが無く遠い場所に停めなくてはならなかった。「ずいぶんアヒヒも有名になったものだぜ。」とやや皮肉君になったがまだそれほど悪い人ではない。大きなハウジングをよっこらしょっと下げながら歩いているとコンパクトカメラ全盛のこの時代にアメリカ人がギョッとして視線を浴びせてくる。ピーカンの青空で波も風も無く穏やか、全くの水中撮影日和だ。海に向かって右側のエントリーしやすい場所から沖合いのあるスポットを目指す。過去に何度か「む、こいつはどっかいいポイントを知ってそうだ」と観光客に海の中をどこまでも付いてこられ辟易した事があるので誰とも話さず目も合わさず一目散に進む。今日は広角レンズで撮影予定なのでできることなら周りに人はいて欲しくないのだ。無事にポイントに着くと真っ白な砂の上に何十匹の黄色いヨスジフエダイが身を寄せ合いそこに数匹のアオウミガメが平然と横たわり視覚的スパイスを効かせている。水面の波紋が太陽の光を通して白い砂の上にきれいな模様を落としている。透明度も申し分なくそこに水があるのを忘れてしまいそうだ。どうしたらこの気持ちよさを伝えることができるのだろう。
数日前に10年来の友人家族が日本に帰った。子供の構成も年代も殆ど同じなら在米生活20年以上でアメリカ本土からマウイ島に引っ越して来たという経緯も同じ。妙にウマが会い深い話ができる貴重な家族だった。その彼らが20年以上のアメリカ生活にピリオドを打ち日本で人生を再スタートをする。持ち家を売り最後は我が家のコテージに入り、2日前にカフルイ空港から旅立っていった。